しばらく旅にでておりましたが、戻って参りました。
無事に昨年から人生の第二章を歩み始めました。

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幼少期を海外で過ごした僕は日英バイリンガルとして育ち、
1999年にシリコンバレーに駐在員として赴任したのは20代後半の頃でした。

いよいよどっぷりと英語を駆使して世界で仕事に挑戦できる、と興奮し、
これから巡り会うであろう仕事のChallengeに、
期待で胸を膨らませて、サンフランシスコの空港に降り立ちました。

ところが現実は、日本とは違う異文化圏でのビジネス風土が分からず、
また世界中から集まってくる半導体やITの優秀な人材に圧倒されて、
幾重もの苦労と失敗、そして挫折の連続でした。

日英バイリンガルだが、シリコンバレーで仕事が全くできないという現実。
グローバルなビジネス環境では、自分の力が通用しないという現実。
全く予想ができませんでした。

「お前は本当に仕事ができない奴だ、明日にでも日本に帰国させる」と
当時のシリコンバレー駐在事務所の上司に言われる日々。
日本の本社からも、
「○○君、君はもっと仕事ができると思って送り出したんだが、
私の思いは外れたようだ。このままだと後任者を考えなければいけない」と
言われてしまう始末。

あの頃、この状況から打破するにはどうしたらいいか、
日々もがいていましたが、一人では解決策が見いだせず、
出口も見えない毎日に苦しんでいました。

でも、苦しんだ分、また頬を伝って流れていった悔し涙の分、
もがき、挑戦し、発見し、実践し、少しずつ学んでいきました。
また、シリコンバレーで出会ったたくさんの方々に支えて頂き、
そして手を差し伸べて頂いたお陰で
一つ一つ確実に乗り越えていくことができました。

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学生生活を終え就職した時に、
東京で「日本流」のビジネス流儀を叩き込んで下さったのは
上司や先輩、そして取引先でした。

そして、その日本流がそのまま海外でも通用するはずだと
勘違いしてしまったのは僕の経験不足のなせる業でした。

シリコンバレーで仕事ができずに苦労していた時に、
「シリコンバレー流」のビジネス流儀をみようみまねで覚えていった相手は、
僕のビジネスの師匠となったビジネス経験豊富なアメリカ人であり、
そして取引先で出会った方々や、SymposiumやConvention、
そしてConferenceなどで出会うことができた方々でした。

シリコンバレー流のビジネス流儀を身につけ、
結果が仕事に結びつくようになり、自信もでてきたころ、
シリコンバレーで勝負をしたいと思うようになりました。
そこで、2004年に現地のSilicon Foundryのスタートアップに転職、
その後、2005年に現地の半導体Fabless企業に移りました。

仕事はとてもChallengingでかつDemandingでしたが、
その分Fast PaceでRewardingなものでした。

仕事でのPerformanceも残し、緊張感もやりがいもある仕事ではありましたが、
仕事に全力疾走しすぎて、振り返ると家族を犠牲にしていました。
特に、1年に14回アジアに出張した年は、プライベートの予定が全くたたず、
愛しい妻にとても寂しい思いをさせてしまいました。

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アメリカで勝負したいと言った僕。
脱藩を決意した時、それを全力で支えてくれた妻。
仕事でPerformanceを出せば出すほど、忙しくなり、犠牲になっていく家族。
これをこのまま続けてHappyなのか、と自問自答をする日々が続きました。

そんな時、この業界にいる10年後の自分をイメージしてみたところ、
全くイメージできませんでした。
仕事の成功が、人生の成功につながると信じて全力疾走してきた僕は、
異なる価値観をこの時、受け入れられるようになりました。

そして、僕にできることは何だろうと考え始めていた時、
あることに気づいたのです。
それは、僕には13年間心血を注ぎ、努力して身に付けてきたものがある、と。
実戦にて失敗して、考えて、改善して、それでもまた失敗して、
試行錯誤を繰り返していく中で
悩み、苦しみ、そして時には涙を流すほど悔しい思いをしながら
踏ん張って一つづつ自分の血となり肉としてきたものがある、と。

そうした僕の経験と、そして身に付けてきたものが
少しでも同じことで悩んでいる人々の役にたてるのであれば
こんなに嬉しいことはない、と。

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英語ができても仕事ができないのは何故だろう。
どうして日本で教わった日本流のビジネスが、海外ではうまく作用しないのだろう。
どうしたら国際ビジネス風土で円滑に仕事ができるようになるのだろう。
何故謝罪してはいけないのか。
どうしたら、グローバルなビジネス環境下で
世界から次々と集まってくる優秀な人材達と
対等に渡り合えるようになるのだろう。
どうしたらより効果的なプレゼンテーションができるようになるのだろう。
ランチミーティングで何を話したらいいのだろう。
どうしたら相手から情報を引き出せるようになるのだろう。
どうしたら外人の上司とうまくコミュニケートできるのだろう。
どうしたら常に自分を有利な立場におくことができるのだろう。
どうしたら交渉で自分の描いたシナリオに近づけることができるのだろう。
どうしたら周囲の信頼を勝ち得ていくことができるのだろう。
どうしたら個を尊重する文化の中でTeam Workを生み出すことができるのだろう。
どうしたらPerformanceを最大限発揮していくことができるのだろう。

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これらを、僕が1999年に渡米した時に教えてくれる人がいたら、
どんなに僕のキャリアの為になっただろう。

これらを、僕が1999年に渡米した時に教えてくれる人がいたら、
どんなに僕の世界が早く開けたことだろう。

でも、同じような悩みを抱えていらっしゃる方々、また、
これからこのような悩みを抱えていかれるかもしれない方々に
僕の経験から還元することができれば、
今からでも決して遅くないのではないだろうか、と思いました。
そして、人生の第二幕となる舞台を、
シリコンバレーから日本に移すことにしました。

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僕がシリコンバレーで味わった苦労や失敗、
そして挫折の経験などから学んで身につけた、海外で通用するビジネス流儀や、
外国人とビジネスを展開するにあたっての心構えなど、
これらを還元する仕事を昨年から展開しています。

人生の第二章、ブログを通じても様々なことを還元できればと思っております。
今後とも宜しくお願い致します。

投稿者: シリコンバレー発 脱藩組の挑戦 投稿日時: 2011年5月24日(火) 18:06