書籍:「松明(たいまつ)は自分の手で」(★★★)コメント:怒られるかも知れないけど、最近心躍る様な体験談を伺う機会が無くなった気がする。だから、時間を見付けては、カリスマ経営者と呼ばれる人物に関する書籍を好んで読んでいる。「その時、何が起こって」「何を考え」「何を実行した/しなかった」「結果、どうなったのか」のかをリアルに感じられる事が楽しい。本書籍では、昭和24年に本田宗一郎氏と出会い、まさに「ホンダと共に25年」、一介の町工場を世界企業へと躍進させた藤沢武夫氏が経営に就いて語っている。1974年に出版され絶版になっていたが復刊された。尚、私が興味を持った件は、下記の通り。特に、最後の挨拶文は、これほど簡素で情の深い言葉があるだろうかと思う。中国文学の吉川幸次郎先生が「経営の経の字はタテ糸だ」と書いておられるんですが、大変上手い事を言われる。布を織るとき、タテ糸は動かさずに、ずっと通っている。営の字の方は、さしずめヨコ糸でしょう。タテ糸が真っ直ぐ通っていて、初めてヨコ糸は自由自在に動く訳ですね。一本の太い筋は通っていて、しかも状況に応じて自在に動ける、これが経営であると思うわけですよ。私は「欧州はだめだ。アメリカに行け」と主張したんです。アメリカこそホンダの夢を実現できる主戦場だというのが、私のかねての考えです。世界の消費経済はアメリカから起こっている。アメリカに需要を起こす事が出来れば、その商品は将来がある。アメリカで駄目な商品は、国際商品に成り得ないという信念を、私は持っていたんです。しかし、輸出というのは、やはり国内がしっかりしていないといけませんね。もし不安が残るまま輸出に出したら、あんなに金を注ぎ込むことも出来なかったし、現地も動揺して、その後の成功は望めなかったでしょう。ぱったり売れ行きが落ちてきた。考えあぐねた末、はっと気付いたんです。そうだ、我々は自分にいいと思ったことを、お客さまに押し付け過ぎていたのではないか。売れているのだから、それで行けばいいという研究の怠慢と、流れ作業の中で仕事がしやすいという事だけで製品計画を立てて来た工場の油断。しかも、営業も無条件で売れ続けると安易に思っていたんです。禍を福に転ずる事が出来るかどうかは、経営者が仕事の根本にかえって問題を考え、大胆に行動しうるかどうかに掛かっていると思いますね。合理主義であって初めて事業が急上昇出来た訳です。けれども、合理主義では割り切れない仕事をやるのが、私の役目だったですね。労働問題もそうですが、直感的解決を見出す判断は私のものです。赤穂浪士の作品の中で、大石内蔵助が「首を取るとかとらぬとかは問題ではない。要は二年間なら二年間というもの、情熱が冷めないということが大切なのだ」という意味のことを言います。この情熱の維持という事が、経営の仕事であると思うし、経営の義務があると思うんです。十年先は分からなくて当たり前。それ程、近代産業の進み方、速度、波、そういったものは激しい。我々が知らなければならない事は、我々の置かれている位置が、我々の進んでいる方向が正しいか正しくないか、という事を知るのが、一番大事である。だから、いま現在、繁栄しているかどうかという事は、それは二番目になってしかるべきである。我々は、やたらに誰かが言ったからといって、自分の心の底から納得しなければ、桑の根っこは抜くべきではない。再び絹が不足したとしても、桑の根っこを、引っこ抜いしまった後で、もう蚕は飼えない。鎖国か開国かの分かれ道が、それからの日本民族の在り方に、どのようなものとなったかは、いまもって続いている。「情の世界の美しさ」だけでは、世界に伍しては行かれない。退陣するあたり、よく信じ、よくやっていただいた従業員の皆様に心からお礼を申し上げたい。ありがとう。重ねて、ありがとう。松明(たいまつ)は自分の手で松明(たいまつ)は自分の手で(2009/03/24)藤沢 武夫商品詳細を見る

投稿者: YES AND .blog 投稿日時: 2009年6月14日(日) 10:00