※この記事はACL再建手術(手術前日までのこと)の続きです
6月29日、手術当日
この日の朝はいつも通りに子供たちをサマーキャンプやデイケアに送り出し、手術後はしばらくシャワー厳禁となるためシャワーを浴び、病院から指定されたルースな服装(ランニングウェアを選択)に着替え、10時半頃にかみさんとお義母さんと共に家を出てFremont Surgery Centerへと向かう。僕は今まで大病や大けがをしたことがないので今回の手術にちょっと緊張気味。全身麻酔するとは聞いていたような気がするけれど、もし麻酔が効かなかったら…なんてことが脳裏によぎる。
病院には指定された11:15amに到着。
チェッインカウンターにて、名前を告げ、クレジットカード、身分証明書と健康保険カードを提示。書類が渡されるので、その場で記入。渡された書類は、
- 現在の健康に関するもの(病歴やアレルギー、薬の有無など)
- 支払に関するもの
- 手術後に僕を迎えに来る人の名前と連絡先(かみさんの名前と電話番号)
- Advanced Directives(生前遺書に関するもの)
Advanced Directivesに関しては、不要と告げた。
かみさんにも書類にサインしてもらったりする必要があるかと思い、チェックインカウンターまで一緒に来てもらったが、受付に聞いたところ受付時にかみさんに何かしてもらう必要はないとのこと。なので、ここでしばらくお別れ。夕方、病院から電話があったら迎えに来てねと伝えて病院を後にしてもらう。
受付で少し待たされたあと、僕の名前が呼ばれた。いよいよ来たか…と緊張の面持ちで奥へと向かう。看護婦に、体重と身長を測定されたあと、男性用更衣室の前にてビニールバッグを渡され、次のような指示を受ける。
- 更衣室にて下着になりビニールバッグの中に入っている患者着に着替える
- ビニールバッグの中に入っているストッキングを手術しない足に穿く
- 荷物はすべて更衣室内のロッカーに入れ鍵をかけ、鍵を看護婦に渡す
- ペンで手術する方の膝に "YES" と書く
患者着は、帯の無い浴衣のような服なので、前開きだと思って着たところ、看護婦より前後反対だと指摘を受けて着なおすことに(結びつけるところが後ろなのでチト大変)。加えて、右足に穿いたストッキングも足首から太ももまで穿いたところ、つけ方が違うと穿きなおさせられた(右足の指の付け根から太ももまで穿くのだそう)… そんなこと言われてもストッキングなんて穿いたことないし~。
着替え完了したあとは、案内された部屋のベッドで横になった。ここは、手術室ではなく、大部屋で多くの患者がカーテンで区切られた半個室になっている。看護婦により、僕の右手に点滴が装着された。思うこれが生まれてはじめての点滴経験ではなかろうか。
続いて、左足の膝回りの脛毛を看護婦によって剃られた。
これにて手術の準備は完了。なんだか緊張してトイレに行きたくなったので、トイレに行く。右手で点滴をつるした台を持って歩いてトイレに。
ベッドに戻ると、ほどなくして、担当医 Dr. F.がやってきた。かつてはゴールデンステイト・ウォリアーズの専属ドクターだったDr. Fは中国系だが英語はネイティブ発音なので、アメリカ生まれなのだろう。見た目にカッコ良い感じで人柄も良い印象を受けるだけに、yelpの星1つ評価とのギャップが信じられない。
Dr. Fと一緒にやってきた看護婦も僕を安心させようと声をかけてくれる。「ACLの再建手術は膝の手術でも最も簡単でリスクも低い。全く心配いらないわよ」だそうな。そうあって欲しい。
そして、いよいよ手術室へと移動。僕が乗ったキャスター付きベッドが看護婦らに押されて、廊下を通り、廊下の先を塞いでいた金属製の扉がゆっくり開いて、その向こうへと入っていく。こうして、自分がクルマに乗せられて進んでいくのなんて、子供の頃に体験して以来かも!?となんだか妙なワクワク感を感じる。
入った部屋は、如何にもTVドラマに出てくる手術室といった部屋だった。今まで自分が入った手術室にもっとも近い部屋と言えば、かみさんの出産の分娩室くらいだが、分娩室は病室というよりもホテルの部屋に近くて驚いたが、今回の部屋は全くもって手術室。
ここで自分が運ばれてきたベッドを降り、手術室中央の手術ベッドに自分で移動する。
手術ベッドに横になる。頭上前方に白い光を放つ円形のライトがあり、そのライトの向こうには大きな薄型モニターが、左、中央、右と3つ設置されている。向かって左側には大きな窓があり、窓の外には道路が見える。窓一枚隔てた向こうは日常、でも自分は特異な世界にいるような感覚を覚える。
看護師に促されて、両腕を左右に広げて腕を乗せる台に置く。腕は台から落ちないように軽く縛られたかも知れないが記憶に残っていない。
次に、看護婦が僕の顔にマスクを乗せた。口と鼻をカバーするマスクは、単にちょこんと顔の上に乗せられただけ。ゴムバンドで抑えなくて良いのだろうかと気になる。マスクを載せた看護婦は、「これは酸素だけですからねー」と言う。
いよいよ始まるんだな。なんだかローラーコースターが動き出して急斜面をガタゴトと登っていくような心持ちだ。
マスクを通して息をするがまだ何も感じない。周りの景色も見える。
看護婦が "How are you feeling?"と聞いてくるので、I'm good と答える。
次いで看護婦が、「じゃ、麻酔入れますね」という。いよいよだな。マスクは相変わらずキッチリと固定されておらず、こんなので良いのか?と思ってしまう。
今まで通りに呼吸するが、特に匂いも何も感じない。ただ、何度か呼吸したあとで、耳になんだか違和感を感じた。飛行機に乗った時に感じるような耳の違和感。口に出して、"I feel something strange in my ears"と言ってみた。
次の瞬間、僕は大部屋にいた。手術ベッドではなく、一番初めに横になったキャスター付きのベッドに。左足は太ももの付け根から足首までブレースと呼ばれる矯正器具で巻かれ、左膝が曲がらないように固定されていた。
驚いたことに手術は終わっていた。全身麻酔から醒めると意識がまだ朦朧としていることがあると聞かされていたが、僕自身はぐっすり寝た翌日のように頭の中は非常にすっきりしていて、看護婦が言うこともはっきり覚えている。
痛みはあるか?と聞かれるが、足の痛みもほとんどない。麻酔がまだ効いているのだろうが。
看護婦は左足に巻かれたブレースの使い方を簡単に説明してくれる。曰く、僕が動かしても良いのはひとつのツマミだけで、そのツマミを動かすことで、膝を曲げられるようになるのだそう。ただし、膝を曲げても良いのは椅子に座るときと回復トレーニングをするときだけで、それ以外のときは(寝る時も)膝をまっすぐにしていなくてはならないのだそうだ。
そして、ほんの少し前に手術が終わったばかりなのだが、看護婦は歩いてみるように促してきた。おいおい、ついさっき手術したばかりなのに、もう歩けというのか?と驚いたが、看護婦曰く、歩くことで血のめぐりも良くなり早く状態が落ち着くのだそうだ。
という訳で、恐る恐るベッドから降りてみた。自分でも驚いたが手術直後なのに、立てるじゃないか。そして歩いてみる。左足は膝を曲げられないし、大きく動かすと鈍い痛みも感じるので、右足を一歩出して、左足を右足と同じところまで持ってくる、そして、右足を一歩踏み出すといった感じになるが、こわごわとしながらもゆっくりと歩く事はできた。
その後、かみさんがやってきて、担当医のDr. Fも様子を見に来てくれた。Dr. Fは手短に今後のことを説明してくれ、看護婦に松葉つえを持ってくるように指示してくれた。Dr. Fは一応松葉つえは用意するが、出来る限り使わない方が良いとアドバイスをくれた。というのも、松葉つえに頼ってしまうと左足への負荷が減り、回復が遅れるのだそう。
看護婦がロッカールームに入れた僕の持ち物をすべて持ってきてくれたので、患者着を脱いで服を着替える。手術前は、しばらくは痛みと戦いながら寝たきりになるのではないかと危惧していたが、今のところ、それは全くの杞憂で、ゆっくりと歩くこともできるし、強い痛みもない。
着替え終わったところで、いよいよ病院を後にする。かみさんが車を車寄せに動かし、僕は車椅子に乗せられて看護婦に押され車寄せへと移動する。
左足を曲げられないため、後部座席に左足を伸ばすようにして座る。
こうして自宅へと帰宅。
ウチは建物2Fに玄関があり、そこまで階段なため昇り降りに不安を感じていたが、手すりがついていることもあって、問題なく2Fまで上がれた。
帰宅後、半日ぶりに食事をした。そして、Dr. Fから指示されたように左膝周辺を氷で冷やす。これは後から分かったことだが、氷で膝を冷やす際にはブレースを外す必要があったのに、そのことを知らずにいた僕はブレースの上から氷で冷やしていた。ブレースは厚手のスポンジなので、断熱効果が高く、ほとんど膝を冷やせていなかったことが判明。
その日の夜、左足が痛み出したので、前日に入手しておいた処方薬の痛み止めを飲む。薬局からは強力な痛み止めと言われただけあって、飲んだあと眠気を感じたため、そのまま就寝。
とりあえず、手術は乗り切った。
しかし、全身麻酔はすごいな。気が付いたらすべて終わっているなんてことがあるなんて、本当に驚いた。
こうして、手術当日は乗り切った。特に帰宅後にいろいろとケアしてくれたかみさんとお義母さんに感謝です。
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