MAC症の悪化を疑われてしまいました
昨日は第一回の痰検査でした
1日1回の痰検査を3回してラボに送ります
結果は6週間後に出る予定

このところ 何故か亡くなった家族を思い出し徒然に書いています

祖母の父への感情がどのようなものであったにしろ
祖母の孫達への対応は公平なものでした
私にとって 祖母はクリスマスには
孫に一人ずつ クリスマスケーキを買ってくれる人であり
お正月にはお年玉をくれる人であり
いとこの絹子ちゃんと上手におねだりすると
お小遣いをくれる人でした
祖母は料理も洗濯も 家事を一切しない
人を使うことに長けた気の強い人でしたから
孫達を相手に遊ぶ事は先ずありませんでした
孫達は子守に任せて
嫁達は交代で台所をしきる女中頭のような存在でした

そんな祖母と私が急速に親しくなったのは
中学生になった年 再び祖父母と同居が始まってからです
祖父母の部屋に冷暖房があり
押入れには商いの関係で頂くお菓子が一杯詰まっていましたから
私は両方を狙って 学校から帰ると
先ず 祖母の部屋へ挨拶に行くのが日課になりました
甘い物が好きな祖母も
一人で食べるのは楽しくないらしく 私の帰りを待つようになりました
週末 デパ地下が好きな祖母は 右足が不自由だったので
私が祖母を支えてデパートに行き
最後に6階の食堂で天ぷら定食を食べて帰るのが
二人の楽しみになっていました
それでも私の友達や学校 成績の事を尋ねる事は一度もありませんでした

同時に 周囲から聞こえてくる祖母への不満
そして過去の父への冷たい心 裏切り 会社への不正
多感な時期にあった私には
心から祖母を受け入れられないものがありました
でも私は孫の中で一番好かれていたように思います

1972年 私がアメリカに嫁ぐと決まった時
祖母はとても寂しそうでした
元気でね 又帰って来てね 手紙を書いてね
と言って見送ってくれました
この頃は気の強かった祖母も
私には普通のおばあちゃまらしくなっていました

それから4年後1976年 
私が息子を身ごもっていた臨月の時 祖母は亡くなりました
鹿児島を離れてから4年
私は祖母と約束した手紙を一度も出さなかったのです
両親には書いたのに
祖母には一度も書かなかった

今までに後悔する事は沢山ありますが
これ程後悔していることはありません
過去がどうであれ 最後まで我が儘で周囲を困らせた祖母だったと聞いても
私への愛情と思慕は本当であったでしょう
自分の中に 父にあれだけ悲しい苦しい思いをさせたのだからという気持ちが潜んでいて
心から慕う手紙が書けなかったのです
私からの手紙を待っていると聞いたのに
書かなかったのです
私は何て冷たいことをしてしまったのでしょうか
「お元気ですか」の一言でもよかったのに…

自分のした間違いの為に今悲しむ自分がいます
人は許すことで自分の心が平和になる…祖母を亡くして初めてそう思いました

私はテルさんを思う時も 
そして祖母を思う時も 又違う後悔の涙が出るのです

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投稿者: カルフォルニアのばあさんブログ 投稿日時: 2014年5月9日(金) 09:12