理工薬農系の学部生、あるいは修士過程在籍中で、博士課程への進学を悩み、将来は製薬企業への就職を考えているみなさんへ、加えてすでに博士課程にいるみなさんも想定しつつお送りしているドク談シリーズ、3回目となりました。企業の人から「ドクターは使えない、使いにくい」なんて言われて反発するどころか、その通り!なんて自虐的あるいは他虐的(?)に思っているドクター当事者の方もいるのではないでしょうか(笑)。それはともかくとして、この問題は、言っている側と言われている側との両面から考える必要があると思います。前回は主に言っている側、つまり採用側について書いたので、今回は言われている側、すなわちドクターコースのみなさんの方でできることは何かを考えてみます。それは、問題点を確認し、その原因と対応策を考える。ひとことで言えば、これに尽きると思います。ここでの問題点は、(1) 使えないと言われてしまうこと(2) 使いにくいと言われてしまうことですよね。どちらも似たようなことですが、(1)についてはおそらく、博士課程に行くと専門バカになりがちという偏見(あくまで偏見です)があること、さらに事実として、自分の専門領域以外に興味を持たずに過ごしてくる大学院生がたくさんいることが最大の理由と思われます。言葉を換えれば、あまりにも自分の研究テーマに集中しすぎて、周囲があまり目に入らないまま卒業してしまうドクター。それ自体は決して悪いことではありませんが、大学院生くらいになれば、現在自分がやっていることが天職なのか、どうもそうではなさそうなのか、それくらいは感じているはずです。自分が今の研究領域に関わることに何の疑いもなく、その研究テーマは他の誰でもなく自分がやるためにあると感じ、自分のゴールはその研究を進めて大発見や大発明をすることであって、博士号なんてその過程でついてくるもの程度のものだ。自分はこの研究に人生を奉げることに何のためらいもない!心からそう言える人には、どうぞそのまま信じる道をお進みくださいと申し上げます。しかしそういう人生に少しでもためらいがあり、自分の能力に少しでも疑問がある人は、問題を先送りして現実逃避し、今はとりあえず研究に集中しておこうというのではなく、自分はアカデミアとは別の道を歩む可能性があり、そのためにはどういう準備をしておくべきかを考える必要があります。そのための準備とは何か。そのひとつは上記から明らかなように、自分の専門分野周辺への幅広い興味と、それらの勉強です。もし製薬会社に就職したいかも知れないと思うのならば、創薬研究、あるいは医薬品開発というのはどういうものなのか、世の中にはどんな薬があり、どんな薬がなく、その研究開発にはどんなステップがあり、どんな専門分野の人たちがどんなことをやっているのか、自分が加わるとすればどの部分で、どんなことが求められるのか、そこで自分はどんなことがしたいか、できるか。そしてチームメイトや他部署の人たちとコラボできる協調性。企業への就職を考える博士研究者たるもの、そういった知識と協調性を育みつつ、またビジョンを持ちつつ、日々の研究に励むべきだと思います。前回、修士で就職した同期のみんなが同じ時期にたくさんのことを学んでいると書いたのは、たとえばこれらのことです。修士以下で入社する場合、こういったことを入社してから最初の数年でみっちり学ぶというのが一種の了解事項ですが、博士の場合、そこまですでに織り込み済みであり、さらに高い能力を身につけて来て欲しいというのが、採用側の希望だと思います。はっきり言って相当無茶な要求です。しかし前回も書いたように、同年代の修士卒研究員は、あなたがドクターコースで過ごす3年間でその状態になっているわけですから、それらの人たちと比べて何らかの優位性がなければ、わざわざ博士を採用する理由がなくなります。アメリカの製薬企業では、学士や修士で就職した人はたとえ3年経ってもRA(Research Associate)という補助職で、Scientistほどの責任を与えられませんから、Ph.D.で入ってくる新入社員は日本のように3年前の修士卒社員と直接比べられることもないし、競争することもありません。博士号をどのように位置づけ、どれくらいリスペクトするか、あるいは博士がそれだけのリスペクトに足る実力を持っているか、といったあたりの考え方によって、Ph.D.とnon-Ph.D.との間にどれくらいの線を引くのか引かないのか、決まります。そしてアメリカの製薬企業ではしっかりとした線が引かれているのに対し、日本では線はないに等しいということになっています。どちらがいいのかはわかりませんが、このようなシステムの違いによって、こと企業への就職に関して日本の博士はアメリカと比較するとより厳しい状況におかれることになります。かといって、アメリカのドクターが楽をしているというわけではなく、これまでの私の印象では、平均して高い意識を持ち、専門以外の関連分野の知識もわりとしっかりつけてきていると思います。でもこれは多くの人が言っていますが、日本のドクターが劣るということはありません。むしろ平均レベルは日本の方が高いのではないかとさえ感じています。要する日本国内では博士に対する要求が高すぎるという見方もできるのです。それも前回書いた、「人は自分と同じような人を採用する」仮説につながりますが、日本のこの業界では博士が主流ではなく、修士が大部分を占めているからかも知れません。アカデミアにいながらインダストリーのことを学ぶというのはそれだけでハンディです。その上苦労して勉強しても、それだけでは先に修士で入社しているのみなさんと同じレベルになるだけで、特に優位性にはなりません。博士にはさらに何らかの付加価値が期待されるのです。それはたとえば高い専門性が求められる研究チームのリーダーとなる資質であったり、医薬品の研究開発に直結したある分野のスーパーエキスパートであることだったりするでしょう。言うは易しで非常に高い要求に聞こえますが、自分で選んで博士課程に進んだ以上、少なくともそれくらいの気概で臨みましょう。(2)についても基本的には(1)と同様ですが、博士の場合、自分がやりたいこと意外はやりたがらない傾向があるというのが一番の理由ではないでしょうか。これはひとつには専門家としてのプライドがあるのかも知れませんが、裏を返せば自分が強い分野以外のことには興味も自信もないということでもあるかと思います。ここはマインドセットの切り替えが必要なところで、もしかするとこれが一番難しいところかも知れません。「お前も組織の一員である以上・・・」なんて言われたらそれこそすぐにでも辞めたくなってしまうかも知れませんよね(笑)。ゴールは何か、を考えてみましょう。研究開発型の製薬会社で働く人たちのゴールは、新薬を開発し、病気に苦しんでいる患者さんたちをひとりでも多く救うことです。基本的にはそのために必要なことを逆算していくことで、最終的にラボで何をする必要があるかが決まります。これとは違ったアプローチを取る場合もありますが、その場合でもゴールは変わりません。どんなアプローチを取るにしても、そのためにラボで何をする必要があるかを考え、実行するのが創薬研究です。そこにあるのは自分(たち)が何をすべきかであって、何をしたいかではありません。何をしたいかの部分は「新薬を開発したい」であるはずです。チームの全員が最終的なゴールを共有することで、個々の意見の違いはあっても、大きなベクトルをそろえることができ、研究を進めることができます。実際の方法論にはただひとつの正解があるわけではないので、時には喧々諤々の議論にもなります。でもそれは建設的な議論であり得るし、そうあるべきなのです。もちろん自分がやりたいことはあっていいですし、むしろそういうことを持つべきと思います。でも他の人にとっては、あなたがやりたいからというのは理由になりませんから、なぜそれをやるべきなのか、なぜ必要なのか、という形で考えましょう。客観的に納得できる理由があれば、上司も周囲も認めてくれるかも知れません。逆に他人を説得することができなければ、それは理由が十分ではないのか、あるいはその会社の人たちはバカなのであなたの考えが理解できないのかということになります。発想が独りよがりになりがちで、安易に後者の結論に飛びつきやすいというのも、失礼ながら博士のリスクのひとつで、使いにくいといわれるもうひとつの理由でもあります。もし本当にそうだと信じるならば、あなたのアイデアを評価してくれる別の会社を探すか、自分で起業するという選択肢もあります。しかし実務経験さえほとんどない研究者の言うことを聞いてもらい、お金を出してもらうということは、大学でPIになるのと同様、どこに行っても簡単なことではありません。医薬品の研究開発というのは、いわゆるmultidisciplinary practiceです。そこで働く研究者は自分の分野に関してエキスパートであるのは当然であり、他の多くの関連分野についても最低で広く浅く、できれば広く深い知識がないとプロとは認めてもらえません。そこのところはしっかり認識していただきたいと思います。何だか書けば書くほど厳しいことばかりになってしまいますが、次回はそんなこんなで大変な苦労を背負い込んでまで博士課程に進むべきか?について、できるだけ前向きに考えてみましょう(^^)。

投稿者: A-POT シリコンバレーのバ... 投稿日時: 2010年1月4日(月) 21:03