堅いタイトルにしてしまいましたが、初めて転職という可能性を考えたのは、日本の会社に入社して12年目くらい、海外の共同研究先に出向して確か9ヶ月くらい過ぎた頃。確かに会社には自分を育ててもらいました。曲がりなりにも研究職を続ける間に上司や先輩、時には後輩からもいろいろ教えてもらったし。その上、海外ベンチャーに派遣までしてもらった(行きたくないのに行かされたのではなく、希望して行った)わけですから、当然会社には感謝こそすれ、恨みとかはまったくゼロではないにしても(^^;)、まあほとんどありませんでした。でも感謝することと忠誠を誓うみたいなこととは、当然ながら別のことです。育ててもらったから、その会社のために尽くそうという心理がある程度働くのはもちろんあると思いますが、絶対にそうせねばならないというほどのものではありません。一社員と会社の関係というのは、うまくいっている間は何も問題がありませんが、問題が生じるのは何かの原因で同じような関係が維持できなくなったときです。そのひとつの例としては、本人が病気や怪我などで働けなくなった場合だと思います。あるいは家族に同様な問題が起こったときとか。そうした場合、会社というのはまあある程度の対応はしてくれたとしても、戦力にならなくなった社員の残りの人生まで面倒見てくれるわけでは決してありません。それは会社としては当然のことなわけですが、日本の会社にいると、その当たり前のことがなぜか認識できなくなりがちな気がします。こんなにがんばって会社に尽くしてきたのだから会社は自分を大事にしてくれるはずだとかいうのはまったく手前勝手な思い込みで、そんな約束は誰もしていません。仕事や人間関係ががうまくいっているとき、たまたまそう見えるだけのことです。もちろん最後までうまくいっていればこんなことで悩む必要もありませんが、うまくいっていても他のオポテュニティが現れる場合もありますし、いずれにせよ自分の人生は自分のものでしかなく、自分で決めていくものなのです。そんな当たり前のことにようやく気がついたのが、私の場合入社後10年以上経って、もしかして転職の可能性?みたいなことを考えるようになってからだったというわけです。会社などの組織というのはしばしば、擬人化されて語られますよね。そんなことは会社が許さないとか、あの会社は何もわかっていないとか。でもその会社っていったい誰のこと?と考えてみると、少なくとも大企業の場合にはそれが特定の個人であることはなく、上の方の人たちがなんとなくみんなで「これはだめだよね」とか「これはこうでしょう」といって醸し出されるコンセンサスが、会社としての判断となっているわけです。そんなあやふやなものに自分勝手な期待をし、さらには人生まで委ねてしまうというのはあまりにもリスクが大きすぎるでしょう。結局自分の人生のことは自分で決めるべきなのだとわかったとき、どうせ一度きりの人生なら、時にはちょっとくらい思い切ったことをやってみるのもいいんじゃないかと思いました。やってみずに一生悔やみ続けるより、やってみて失敗する方がずっと悔いが少ないだろうと。

投稿者: A-POT シリコンバレーのバ... 投稿日時: 2009年10月23日(金) 23:08