じいさんが買うもの、ばあさんが買うもの
我が家は色々なところで其々の分担が決まっております。庭掃除(爺)から、草取り(婆)、花植え(婆)、電気掃除機(爺)、お料理(婆)、車の修理(爺)、細かいところはお皿を洗う人(婆)、それを片付ける人(爺)、確定申告書を書く人(爺)、コーヒー淹れ(爺)、ごみ...
我が家は色々なところで其々の分担が決まっております。庭掃除(爺)から、草取り(婆)、花植え(婆)、電気掃除機(爺)、お料理(婆)、車の修理(爺)、細かいところはお皿を洗う人(婆)、それを片付ける人(爺)、確定申告書を書く人(爺)、コーヒー淹れ(爺)、ごみ...
haustinさんがベリーダンスを観に行ったというブログを拝見し、行きたい行きたい!と騒いでいたらお誘いの声。ありがとう♪ 声は大にして言うもんだ。ベリーダンス(Belly Dance)とは、中東とその周辺のアラブ文化圏で発展したダンス。とーってもセクシーな衣装を身につけ、手足をしなやかに揺らし、腰をくねらせ、胸を震わせたりして踊る。普段着られない非日常の豪華できらびやかな衣装も魅力的・・・
海岸に飢えた人がいた場合、その人にすぐ食べられる魚をあげるべきなのか、魚の釣り方を教えるべきなのか、というたとえ話がありますよね。これって100対ゼロで絶対にこっちが正しいという問題ではないと思います。本当ににケースバイケースで、たとえ同じ人(たち)のケースであっても時間軸とともにベターな解は変わっていくのではないでしょうか。何しろこれはあくまでたとえ話であって、魚の釣り方というのは、実社会では各種の仕事のための知識やスキルを身につけることですから、普通だったら何年も学校に行くようなことで、1日とか1週間とか、いや1ヶ月でさえどうにかなるものではありません。その間食べるものがなかったら、知識や技術を身につける前に飢え死にしてしまうということになります。困っている人に魚を与えるのはその人のためにならないから、魚の釣り方を教えるべきだと主張される方には、ご自身で何かそういった行動を起こしていただきたいと思います。魚を与えるのはよくない、でも釣り方を教えることもできないから何もしない、というのでは建設的ではない、というかまったく何一つ解決に向かいません。私は、最終的に目指すべきは結果の平等ではなく、最初の機会の平等だと考えています。ただそこに至る過程においては、上にも書いたように、ケースバイケースで魚そのものも必要だし釣り方を教えることもまた必要だと思うし、その中で自分にできることを少しだけでもやろう、と思うわけです。
先日Straits Cafeでいただいたタロイモのニョッキがとても美味しかったので「自分で作るぞ~」と意気込んで早速帰り道に材料を揃えたのでした。急がないと最近は直ぐに味を忘れてしまうというのが一番の理由なんだけんども。皮を剥く前はこんなで、私が思っていたタロ...