Miyukiさんのブログ「そしても今日も途方にくれる」で紹介されていた
「福島第一原発で働く皆さんに感謝の気持ちを届けよう」という活動では 作業員の皆様に、機能性インナーとカイロを寄贈する寄付金を集めています。
アメリカ在住の方: 寄付は2014年2月28日で終わりました。
日本在住の方:3月末までです。

福島第一原発で働く皆さんに感謝の気持ちを届けよう

パッタイの作り方

2014-03-11-padthai1

この前娘と久し振りでタイ料理を食べに行き
パッタイが作ってみたくなりました
エスニック料理をネットで調べる時は 
なるだけそのお国の方が書かれたと思われるレシピを見るようにしています
今回はこちら thaitable.comの作り方を参考にしました

タマリンドソースさえ用意してあれば簡単です
一度に沢山作って瓶に入れて冷凍保存をしていると数年は持ちます
冷凍して4年目のタマリンドソースです

tamarind

アマゾンのタマリンド
は375g入りです。 これでタマリンドペースト(ソース)が14回分くらいできますから、半分に分けて作って残りは瓶に密閉して冷凍保存するとよいでしょう。

先ずはタマリンドペーストの作り方から。 400cc~500cc

(1)タマリンドを小さくちぎって耐熱ボールに入れて熱湯を注ぎます。 ボールまま電子レンジに入れて再加熱すると早くやわらかくなります。15分~以上置いて、やわらかくなったら種があれれば種を取り出します。  種がない場合は、フードプロセッサーに入れて攪拌し、完全にはペースト状にならないので、漉します。 

タマリンド 185g
熱湯 3カップ 漉す前に熱湯もっとくわえてもOKです。

(2)煮詰めて少し濃くします。 タマリンドペーストの出来上がり。 このパッタイのレシピには50ccくらいしか使わないので、残りは瓶に入れて冷凍保存してください。 冷蔵庫でもカビがきますので冷凍保存をお勧めします。

最初の部分にタマリンドソースの作り方が出てきます。 タマリンドソースの後は見ないでくださいね。 今回と作り方が大分違いますから。

パッタイの作り方
3人分

(1)センレック(3mm幅の米粉麺)は熱湯に10分間浸しておきます。 浸し時間が短過ぎると炒めるのに時間がかかります。  浸し時間が長過ぎると麺がべっとりして糊のようになりますから浸し過ぎに注意してください。 爪先で麺が切れるくらいになったらざるにあげておきます。 食べてみてちょっと硬く生っぽいくらいがいいです。

drynoodle

センレック(センレク)   180~200g (乾燥)
熱い湯 70度C(158度F) 5カップ 7分浸けていると50度くらいまで冷めてきます。

noodleinwater

(2)具の用意をします。

揚げ豆腐 200g 熱湯で油を落としたら厚さ約7mm、長さ6cmくらいに切る。
海老 9尾くらい  背腸を除いてお酒と塩を少し振っておく
エシャロット 1個(又は玉ねぎ1/4個) 細く切る
人参 1~2本 細い千切り
にんにく 2片 みじん切り
万能ネギ 4~5本 6cmの長さに細く切る
ピーナッツ  カップ1/3くらい  砕く

ingredients

(3)調味料の用意をします。 下記の材料を混ぜておく。 

砂糖 大さじ3
用意したタマリンドペースト 大さじ3
ニュクマム(魚醤)大さじ2
チリソース 小さじ1 又は赤唐辛子 種を除いて1本

(4)フライパンにサラダオイルを熱して、砕いたピーナツを炒めて取り出し 

peanuts

そこに海老を炒めて取り出しておく。 

shrimp

サラダオイルを少し足して用意したお野菜を全部入れて炒める。 

veggiefry

veggiefried

(1)の麺を加えて、

1noodleadded

(3)の調味料を麺の上にのせて、炒めながらよく混ぜます。 暫く炒めても麺が硬そうな時は少し水を加えてください。  もやしは最後に加えて蓋をして余熱で蒸す。  上から刻んだピーナツ、香采を振りかけて、レモン又はライムを添えてお召し上がりください。

サラダオイル 大さじ1
もやし 200g 今日はないです
香采 適量
ライム 又はレモン 1/2個

noodleadded

padthai350

お守り

小学生の時 私が通っていた山下小学校まで 約15分の徒歩でした
途中幅の広い国道がありました
それを渡る信号が一つあったのですが
信号まで歩くのが面倒なので 多くの子供達が信号まで行かず
国道を横切っていたように思います
そのくらい 当時は国道も暇だったのですね
祖母は交通事故に会わないように 
霧島神宮で買ってくるお守りを 家族や会社の人達に渡していました
私のランドセルにもいつも入っていたお守りは
白い和紙に包まれて 祖母の字で「お守り」と書かれていました

その後 祖母の字で書かれたお守りが
いつからか父の字になっていました

1972年 結婚でアメリカに渡る時
父から手の平に一杯のお守りをもらいました

1995年夏 家族で実家に帰った時も
父は自分で包んだ霧島神宮のお守りを 
私達家族全員に肌身離さず持っているように言い
私は又手の平に一杯のお守りを渡されました
お父さん お守りは使い捨てじゃあるまいし
減るものじゃないから こんなに沢山要らないでしょうと言ったのを覚えています

あれから19年
娘夫婦が私達の古いスライドをデジタル化してくれるというので
スライドの箱を見ていたら
枠に「ハンサムな父」と書かれたスライドが目に留まりました
父の自筆です
父は 人称の呼び方が滅茶苦茶で 
いつも家族から変と言われていたのですが
父と書いたのは いつか自分が居なくなってから
子供達が見てくれる事を意識して書いていたのかなぁと初めて今思いました

そして写真を見てびっくりしました
父がコタツで「お守り」と書いているのです
私の手元に残っているお守りは父がこの日に書いたのでしょうか
写真のお守りが 今私の持っている物だとしたらと思うと 
とても不思議な気持ちになりました

2014-03-10-omamori

余っているお守りの事はすっかり忘れていました

たんすの中を探すと 黄ばんだのと白いのと2種類 出てきました
父に「こんなに沢山要らない」と言ったお守りが…
そう言えば 嫁ちゃんにも 婿ちゃんにも 未だあげていなかったっけ
孫太郎にも 孫次郎にも…

父は こんなに先の事まで考えていたのでしょうか
私の家族が段々増えていく…

今度は私が子供達に一杯渡しておく番なのでした!
父がこの写真で 皆に渡してねと思い出させてくれたような気がします

サマータイムで1時間早くなりました。 これから久しぶりに山を歩いてきます! 皆さんも楽しい一日を!
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投稿者: カルフォルニアのばあさんブログ 投稿日時: 2014年3月11日(火) 08:43