核融合科学研究所が計画する重水素実験に反対する。
岐阜県土岐市の方達からのお願いと拡散希望が届きました。
岐阜県内で今月、核融合反応が起きる実験への同意書の調印が行われます。
現在使われている核分裂の発電施設から発生する中性子の10倍も高いエネルギーの中性子が出ることを防ぐ方法が全くない危険な実験です。
ノーベル賞受賞者の小柴昌俊さんも、実験反対 毎日ニュース
物理学者の槌田敦氏からの異論 ヤフーニュース
お願い:「核融合」施設実験に反発する声を送る。
舞踊団「シェン・ユン」の公演を見て
堀ねずみ教室が終わった後
お隣さんはじいさんに今サンフランシスコで公演中の
舞踊団「シェン・ユン・パフォーミング・アーツ」の踊りを見に行こう言い出して
さっと入場券も手配して下さったので
今日はお隣さんとサンフランシスコを散策して
夜は舞踊団「シェン・ユン」の公演を見てきました。
(じいさんに聞いてくれたのでじいさんを説得する手間が省けました)
踊り子達のインタビューを見て思い出す事があります。
私は6歳の頃まで父の実家が商売をしていたので
祖父母やいとこ達 住み込みの女中さんや
丁稚奉公さん達と雑居生活をしておりました。
このお話は少しここに書いたことがあります。
鹿児島はとても封建的で
祖父母とその息子3人は(つまり私の伯父二人と父)の5人はお座敷で食事をし
私 いとこ達 母 伯母 使用人は土間の台所に繋がる畳の部屋だったので
父と食事をすることはありませんでした。
私達子供と母達がお座敷に呼ばれるのは夕食の後です。
何が始まるのかというと子供に歌わせたり
躍らせたりするミニ演芸会です。
歌や踊りの好きな同じ年のいとこは
この時間を楽しみにしていたくらいですが
私は一日で一番嫌な時でした。
家族であろうと人の前で歌ったり踊ったりするなんて!
嬉々として踊るいとこの真似をしながらいつも惨めな思いでした。
母はそんな私を見てバレーを習わせようと思い
私が5歳の時に近くのバレー教室に見学に連れて行ったのです。
そこでは私と同じくらいの年の子が
可愛い衣装を着てバレーの靴を履いて
壁のバーをつかみながらちゃんと体を動かしているのです。
とんでもないと思いました。
先生から何とか話しかけられた記憶がありますが
私はきっと貝のように黙りこくっていたのだと思います。
教室を出て帰る途中 私は嫌だ嫌だと泣き喚き
母はレッスンに行かないなら
この木に縛り付けますと私を脅しました。
私は人目もはばからずに益々大声で泣いたので
結局母はバレーレッスンは諦めてくれました。
それ以来バレーの話は2度と話題になることもなかったのですが
それから20年経って
ふと思いついた事があります。
当時 母は27歳。
名古屋から封建的な鹿児島の大家族にお嫁に来て
朝から女中さんのように働き
そしてとても厳しい姑の下で
相当にストレスの多い生活だったと思います。
そして毎晩 自分の娘は踊りも歌も下手でいとこ達に負けている。
勝気な母にはそれもストレスだったのでしょう。
大泣きをする私を見ている母
今はその時の母の気持ちがわかるようになりました。
20年経て この一件を思い出す時
母に木に縛り付けると言われたことより
そんな事を言わなくてはいけないくらいに
嫁ぎ先で辛い思いをしていた母を想って
可哀想になり泣けてくるのです。
母の鹿児島での前半の生涯はとても悲しいものでした。
そうそう踊り子の話でした!
こういう運動神経や才能は努力だけでなく
生まれて持っているものが大きいのでしょう。
インタビューのダンサー達は幼少の頃からレッスンが楽しかったと言っています。
私はどうひっくりかえっても
ダンサーにはなれなかったのですよ。
最後までお読みくださり有難うございました。 そしていつもご訪問と応援をありがとうございます。
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