夏場の店内の暑さには参ったが、冬は冬で問題があった。ボクの指は非常にデリケートにできており、すぐ荒れてしまうのだ。洗い物をし、濡れた手を拭くまもなく焼き台の火に手をかざす。これがよくなかったらしい。ひび割れ、やがて指紋もなくなる。毎日クリームを塗り、ラップを指に巻き、さらに軍手をつけて寝ていた。

そしてようやく鰻を焼くのにもなれたある冬、アイデアマン(山師とも言う)のM社長が、とんでもないことをやりだした。 冬場の串売りは売れないため、一計を案じた社長は、温かい温泉たまごとキヌカツギで客を釣ろうというのだ。この社長、電気部品会社の社長業では満足できず、さっさと人に譲って慣れぬ商売に手を出した前科者だ。鰻屋を始める前には、どういうわけかはしらないけど、家中 「大分のどんこ」 と「北海道の鮭の燻製」が山積みになっていたそうだし。

ビニール袋に卵とキヌカツギを入れて店頭に並べる。一袋100円だ。腰に手を当てて客が来るのを待っていたところ、お向かいのラーメン屋でタン麺をすすっていたはずの社長が怒鳴り込んできた。「なにやってるんだ!! うちは鰻屋だぞ!!ボ~っと立っててイモが売れるか!!!こうやってやるんだよく見とけ!!! 」
そこで満面に笑顔を浮かべると、太い両手を叩きながら、「おいしいキヌカツギが茹で上がりましたよ!! 温泉卵もありますよ!!! おいしいよ!! 温ったまるよ~ !!」

この山師のアイデアはこれだけではすまない。なんと井の頭公園にこのイモと卵を持って行き、そこで売ってこいというのだ。 「日曜日の朝の公園には人が集まる。まだ肌寒いお昼前に行けば、きっと売れる。皆喜んで買う。全部売れるまで戻ってくるな!!」  「俺たちの旅」 を人吉で観て、吉祥寺に憧れて上京した純朴な少年に、その街のシンボルともいえる「井の頭公園」でイモと卵を売ってこいだなんて。もしかしたら岡田奈々さんや、金沢碧さんが歩いているかもしれないのに。

出前用のバイクを公園脇に止め、袋に入れた温泉卵とキヌカツギをダンボール箱に並べる。一袋100円と書いた紙張り終えて顔を上げると、公園中の人から見つめられているような気がしてめまいがした。もちろん売れるわけがない。さっさと片付けてパチンコ屋で時間をつぶす。頃合をみて店に戻り、社長に報告すると、「そうか、やっぱりダメか、なにがダメなのかなあ。」 と真剣に考えている。もうやめるかなと思いきや、「北村君、来週もう一度いってきてくれないか?」

投稿者: 寿司豊味ととろぐ Sushitomi 投稿日時: 2011年9月28日(水) 07:30