18歳の時、私はモンタナ州の田舎町にある高校の校長先生のお宅にホームステイーをしておりました。奥様は小学校の先生。お二人揃って教育に携わる、アメリカの典型的な中流家庭でした。でもそこには、大きな電気掃除機, 皿洗い機、巨大な洗濯機にドライヤー等があり、1960年代に鹿児島から急にアメリカに行った「ぽっと出」の私には目を見張るものばかりでした。丁度テレビで見ていた「I love Lucy」とか「ルート66」の世界、そのままでした。数ヶ月もすると友達も数人できて、その中の一人、エディナの家で私の18才の誕生日パーティーをしてくれる事になりました。エディナの実家は農業。連れて行かれたところは見渡す限り地平線に続く草原でした。エディナは自分の馬に私達一人ずつ乗せてくれました。彼女以外の友達は馬なんて初めての経験です。ひょうきんなサンディーが乗った時は馬は一歩も動かず。エディナが人参を棒の先にぶら下げて馬を動かしたのには私達全員お腹がよじれるほど大笑いでした。エディナがサドルも付けずに草原を馬で走る様はまるで西部劇の一こまのようでした。夕日が沈む頃、馬に乗ったエディナが引くワゴンに這い上がり、上向けに寝転がり、夕日で赤くなった空を見ながら、何が可笑しかったのか、皆笑いが止まらなかった事を思い出します。その日夕食はどうしたのか全く記憶が無いのですが、バースデーケーキを焼こうという事になり、暗くなってからエディナの家に入ってびっくり!そこはまるで「大草原の小さな家」そのままだったのです。丸太小屋で、台所には大きな鉄のかまど。薪を炊くかまどの横はその火力を同時に利用できる鉄のオブン。エディナは慣れた手つきで、火を起こし、インスタントのケーキミックスに卵を入れて、ケーキ型に流し込み、あっという間に、サーモスタットもついていない薪のオブンで苺ケーキを焼いてしまいました。今でこそ、薪の窯がパンフェチ(ふろっしゅさん、使った!)に持てはやされていますが、当時は日本でさえも「かまど」は幼稚園の時に祖母の家で見たきりでしたから、進んでいるアメリカと対照的でびっくりしました。そしてトイレはというと、家の外に小さく立った小屋。私達は懐中電灯を交代で持ちながら暗くなった汲み取り式のトイレを使ったのです。10ヶ月の滞在で「大草原の小さな家」を体験したのはその後もエディナの家だけ。私のアメリカの印象は、最初見た大きな冷蔵庫やドライヤーではなく、エディナの家で西部開拓時代の名残を見た事です。もうそんな家はモンタナの田舎にもないでしょうね。20年後の同窓会に行った時、エディナは新築のモダンな家に住んでいました。今日18歳の誕生日を思い出したのは、週末押入れの整理をしていたら、当時私が撮った8ミリフィルムの一杯詰まった箱が出てきたからです。もうそろそろと思った父が10年前鹿児島から送ってくれた箱でした。8ミリにはエディナが人参を棒にぶら下げて馬の前を歩き回る姿が出てくるのですが、何故かケーキを焼いているエディナを撮らなかったようです。余りにも時代遅れのアメリカを見てびっくりして、8ミリに収めるのを忘れてしまったのか、残念な事をしました。何十年前の自分が居た瞬間がこうして壁に映し出され、再現できるのは言葉ではいえない様な感動を覚えます。これ、デジタル化できたらなあ~。
投稿者: カルフォルニアのばあさんブログ 投稿日時: 2007年8月5日(日) 10:41- 参照(395)
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