歌のフレーズや取り留めて意味もない言葉が、花瓶の底に染み付いた何度洗っても落ちない汚れのように、ずっと頭から離れなくしまっている。そんな経験って誰にでもありますよね。何故か知らないけれど、ここ数日、僕の頭から離れない言葉がある。それは、へいこうしへんけいあれは確か小学校4年生の、それもまだはじまったばかりの算数の授業でのことだ。僕の小学校では、小学校4年生で組替えがあって、まだ顔も知らないし話したこともない多くの新しいクラスメイトたちと一緒に机を並べて算数の授業を受けていた。先生は、生徒たちに、「四角形の仲間にはどんなカタチがありますか?」と質問をした。生徒たちは元気良く手を挙げて、先生に指されると「ましかく」 「ながしかく」 「ひしがた」と大きな声で回答していた。ほとんど回答が出尽くしたと思われた後で、先生はよそ見をしていたクラスメイトのSを見つけて、「Sくん、他に何か知っています?」と聞いた。この時点で、僕はSとはまだ話をしたこともなかった。すると、Sは、突然名前を呼ばれたことにびっくりしながらも、へいこうしへんけいと答えた。一瞬、僕には何のことか分からなかった。いや、僕だけじゃなくてクラスの大半はSが何を言っているか理解出来なかっただろう。正方形のことを「ましかく」、長方形のことを「ながしかく」と言っているような生徒の前で、「へいこうしへんけい」なんて言葉が出てきても、幼稚園児に微積分の説明しているようなものだ。これが、僕とへいこうしへんけいとの出会い。算数の授業が進むにつれ、へいこうしへんけいが平行四辺形であり、それがどんなカタチであるのかといったことを理解していくのだが、何故か、自分の中で、生まれて初めてへいこうしへんけいというカタチが四角形にはあって、そんなヒラガナで9文字にもなる長い名前の四角形があると知った衝撃は大きかったらしい。その後、Sとは中学校までの6年間、親友とも呼べる間柄になるのだが、僕にとってのSは、僕の知らなかった「へいこうしへんけい」を知っていたSとしてその後ずっと接することになる。Sと親交のあった6年間の中で、このことをSの前で口にしたことはない。でも、心の奥底では、Sは「へいこうしへんけい」を知っていたSとして記憶されていた。ここで時間は飛躍する。算数の授業をうけていた可愛かった(であろう)小学校4年生は、今やアラフォー世代となる。このウン十年の歳月をたった1行で飛び越して、話は数日前に。どういう状況だったかは覚えていないのだが、何かで平行四辺形という言葉を目にしたのだった。小学校当時のことを思い出しながら、それにしてもヘンな言葉だよなぁとシミジミと平行四辺形という言葉を眺めながらふと気付いたことがあった。自分は、その小学校4年の当時から、平行四辺形という言葉は、へいこうし・へんけいというように、「へいこうし」と「へんけい」の間に区切りをいれて覚えていた。多分、これは一番最初に耳から聞いた「へいこうしへんけい」という言葉の語呂から、理由もなくそうなってしまったものと思われる。だが、よくよくその漢字を眺めてみると、平行四辺形という文字はその形の意味することを鑑みても、平行な四辺の形と分解できることに気付いた。つまり、「へいこう」と「しへん(けい)」の間に区切りを入れては意味を成さなくなってしまう。非常につまらないことだ。あ、そうか!で終わるべきもの。今更、これを知っても何も変わらない。でも、こんなことにウン十年ぶりに気付いてからというもの、「へいこうし・へんけい」を「へいこう・しへんけい」に焼きなおす作業が脳の中で繰り返し行われているようだ。ワールドカップを見ていても、仕事していても、食事していても、頭の中はへいこう・しへんけい。へいこう しへんけいへいこう しへんけいへいこう しへんけいへいこう しへんけいへいこう しへんけいへいこう しへんけい…知らない方が幸せだったのかも。でも、きっと誰にでもこういうことはあるのだろう。菅直人首相だって、就任演説のときに、平行四辺形のことを考えていたかもしれない。そう思うことにしよう。
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