母は子供達の夏休みが始まると日本から来て孫シッターをしてくれました。子供達は夏休みの間はディケアーに行かなくてもよいし大好きなおばあちゃまと過ごせるので夏休みをとても楽しみにしていました。母は孫シッターだけでなく 洗濯をしてくれたり畑を作ってくれたり、夕食の支度までしてくれました。アメリカの道具は使い勝手が違うと言いアメリカに来る度に自分の気に入った道具を持ってきました。何でも質の良い物を買う人だったので母が買ってきてくれた道具は30年近くなる今でも壊れないで活躍しています。近年私が100円ショップで買った洗濯干しは直ぐに壊れてしまいましたが、母が持って来た洗濯干しは20年経った今でもハサミ一つ取れていません。昔の道具は色がイマイチですが、クボタの量りも
ザルも
20年以上使っているのに一つも穴が開いていません。似たような道具がアメリカ製品にもありますが
矢張り母が持ってきてくれたのが一番使い易い。そしてアメリカではいつも自分で縫った洋服を着ていました。
母が亡くなった時に、母の眼鏡を形見に持ってきましたが、我が家には洋服も、ハンドバッグも、台所用品も母の形見が沢山残っています。今日は家族で両親のお墓参りをしてきました。
帰ったら娘から私に「母の日」のプレゼント。
私も母だった。だけど、いくつになっても母の日は亡くなった母の事しか思わない。
今日もご訪問有難うございました。
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