これからしばらく、大学院生、あるいはこれから大学院へ進もうとしているみなさんに向けて書いていきます。しばらく前に、博士号保持者のアカデミア以外のキャリアの可能性についてブレスト的に話す会(と私は理解したけど、もしかしたら本来の目的は少し違ってたのかも・・・)に呼んでいただき、あれこれお話ししてきたのですが、それをきっかけにまた少し考えてみようと思ったからです。私の独断によるドクター談義、略して「A-POT ドク談シリーズ」(笑)、なんちゃって。それなりのボリュームになりますので、読まれる方は覚悟してください(^^)。将来博士号を取得したとして、その後にどんなキャリアが構築できるかはいろいろですが、比較的多くの方が製薬企業への就職を考えると思います。博士の就職が難しいと言われる現在、それに対してどんな心構えでどんな準備をしておくといいのか、すでにいろいろな方々に語りつくされていると思いますが、私なりに思うところを書いてみたいと思います。ここで製薬企業という言葉は、ファイザーやGSKなどのメガファーマから小さなバイオテックスタートアップまで含めた広い意味で使っています。ただしこれは私の単なる思い込みであり、かつ余計なおせっかいでもあり、ここで述べることが正しいなどという保証はこれっぽっちもありませんから、言うまでもないとは思いますが、決して鵜呑みにするな!最終的には自分で考えて自分で決めろ!というべきものですので、その点よろしく。いろんな切り口が浮かびますが、ざっと思いつくまま並べるとこんな感じ。・ みんなそれぞれ言いたいことはある・ なぜ日本ではドクターの就職が難しいの?・ 博士の側でできること-使えないなんて言わせないために-・ 博士課程に進むべき?・ アメリカのバイオテックで働く?ということでA-POTドク談シリーズ第1回: みんなそれぞれ言いたいことはあるあなたがこれからのキャリアを考える際に登場する人たちとしては、だいたい以下のようになると思います。学部生または大学院生であるあなた(主役)ラボの教授、または直接の指導教官ラボの先輩(卒業生)ラボの先輩(在籍中)企業(ここでは製薬関連)で採用に関わるみなさん文部科学省のみなさん経済産業省のみなさん政治家のみなさんあなたの親や家族あなたの友人、恋人などこれらの人々は、あなたが将来を考えるときに、直接または間接に関わってくるはずです。当然それぞれの立場からはそれぞれの見方、考え方、そして言い分があるでしょう。できるだけいろいろな人の意見を聞くことは重要だと思います。たとえそれは違う、と思っても、とりあえず聞く。「他山の石」という言葉があるとおり、どんなことも知っていて損はありません。鵜呑みにさえしなければ。つくづく思うのですが、あらゆることを知っているなんていうことはあり得ません。私は日本の製薬会社で10年以上働き、その後アメリカのバイオテック2社で合計9年近く働いてきています。ですから日米の製薬業界に精通していますと言えば、そう信じてくださる方は多いかも知れません。でも実際は、そんなこととても恐れ多くて言えません。日本の会社を離れて9年近くになり、自分が知っていると思っている日本の会社が今でも以前と同じであるかどうかわからないですし、ある会社で働いているといってもその会社のことがすべてわかっているわけでもないからです。もちろん経験ゼロの人から見ればそれなりの経験値ではありますから、こういう文章を書いたりするわけですが、あくまで私という個人の目(フィルター)を通したものでしかありません。だからどんな人の意見も鵜呑みにはするなと強調しておきたい。世の中には「目黒の秋刀魚」的な事例がたくさんあります。たったひとりのアメリカ人の友人が言っていたことに基づいて、「アメリカ人というのはこう考える」とか、たまたま自分が勤務していた会社のやり方を示して、「アメリカの会社はこういうやり方をする」とか。こういったn = 1 のファクトから一般化した結論を導こうとする例をよく目にしませんか?もちろんその結論が正しい場合もあるでしょうが、それはたまたま当たっていただけであり、全般的に情報の信頼度を上げようとすれば、この n (例数)を少しでも増やす必要があります。そういう意味で、いろいろな人の意見を聞くことは重要だと思うのです。前置きが長くなってしまいました。博士号取得者にはいい就職先がない、というのは正しくないと思います。就職先そのものは基本的に学士や修士の人たちと同様にあるはずですが、ドクターのみなさんは必ずしも満足できる就職先を見つけることができていない、というのが事実かも知れません。同じことじゃん、と思われるかも知れませんが、「ない」と思ってしまうとそこで停止してしまうのに対し、本当はあるのにうまくマッチングできていないのだと考えれば、うまくマッチングする方法を考えればいい、それにはどうすればいいかと、思考がつながっていきます。そんなこといくらぐちゃぐちゃ言ったって、しょせん企業の側でドクターを採用する気がないじゃん、と言われるかも知れません。しかし製薬企業は研究開発が命です。そこで行われている研究は、質こそ違え、決してアカデミアに劣るものではないと私は思っています。もちろんどちらもピンきりかも知れませんが、世界中の大学の研究のレベルが1から10まであるとしたら、製薬企業の研究はざっくり言って6から9くらいの範囲にあるといっていいのではないかと思います。ビジネス的視点からシビアにフィルタリングされている分、「きり」のレベルは高くなります。まあこれは異論もあるだろうと思いながら書いていますが、少なくとも私はそう思っています。つまり製薬企業はドクターがいらないなどということは決してなく、しっかりした研究ができる人材が不可欠なのです。それならなぜもっとドクターを採用しないのかということですが、それはこれからのシリーズで考えていきたいと思います。大学院重点化とかポスドク1万人計画とか、行政サイドから出される施策により、大学もいろいろなアクションをとってきました。それによって学生も大学院進学を考えたり、博士課程進学を考えたりしてきたと思います。その結果生じたことに憤りを感じる方が多いのは確かでしょう。ただたとえ政策がどれだけ間違っていたとしても行政、大学側はどの一個人をとっても責任を取るということはあり得ませんし、そういうことにこだわっていたのでは、おそらくそれだけであなたの人生は終わってしまいます。憤りをどこかの他人に対して向けている限り、こちらがああ言えばあちらはこう言う、の繰り返しです。ある意味みんな一所懸命、時には必死に生きているわけで、自分の人生は自分で組み立てていかなければなりません。そういう意味では、社会経験がない学生は、スタート時点で最も不利な勝負をさせられているともいえますね。ここで言いたいことは、悪意ではなく世の中のためによかれと考えられて行われた(と信じたい)こと(例えばポスドク1万人計画)の結果、問題が生じたとしても、それが誰のせいだとか、個人のレベルで誰が悪いとかを追及することはあまり意味がないということです。もちろん計画立案、実行の責任者である文科省や文科大臣の諮問機関とか、もちろん大臣を含めた関連政治家などにはきちんと反省し、責任も取っていただきたいですが、よしんば彼らが「責任を取ります」と言って辞職したところで、それでみなさん自身の人生に直接いいことが起こるわけではないのですから、そういう意味で私はあまり意味がないと言っています。つまり、これはあなた自身の人生の問題なのですから、詰まるところはあなた自身で何とかするしかないのです。既存のシステムの中でできることを考えるか、それがいやならば、あなた自身が研究者ではなく政治家や官僚となって、新しいシステムを作っていくということも考えるべきと思います。適当に過ごしていれば誰かがよきに計らってくれる社会になればいいのですが、少なくとも近い将来には実現しそうにないという現実を、まず肝に銘じる必要があります。さらに悲しいかな、現実は世代によって世のなかの状況が違いますから、景気のいいときに卒業した人たちは苦労もなく就職ができたのに、景気がよくない昨今はがんばってもなかなか就職先が見つからない、そんな運不運もあります。しかしこれも上記と同じ。嘆いていても誰かが助けに来てくれるわけではありません。状況に応じて、対応策を考えるしかありません。問題があれば、それを嘆くのではなくどう対処するかを考える。それしかない、と思います。今回はやや一般論になってしまいましたが、次回はなぜ日本ではドクターの就職が難しいのか、について考えてみます。

投稿者: A-POT シリコンバレーのバ... 投稿日時: 2010年1月2日(土) 16:39