Michi Kaifuさんのエントリーから辿って、シンガポールのニートの海外就職日記、さらに発言小町のトピック、「妻が病気の時、夫は会社を休むべきか?(もうちょっと正確に言うと、妻には生まれたばかりの赤ちゃんがいて、自分は高熱出してるのにずっと赤ちゃんの世話をしなければいけない状況)」と続くスレッドを見て、考えさせられました。うわーっ!女性の側からしてそこまで言うのですか!と今でこそ感じますが、正直に昔の自分を振り返れば、私も以前日本にいたとき、少なくともマインドセットとしては「社畜(^^;)」といわれる側に近い方にいたような気がします。まあ研究職というのは、いきなり休んでも周囲にそれほど大きな影響も迷惑も与えない場合が多いので、そういう点では比較的恵まれている職種だと思いますが、それでさえ今から思えばなぜだかわからないほどストイックに会社に行って、長時間働いていたものでした。その上さらに夜中過ぎまで飲んでは寝不足プラス二日酔いになって、それでも翌朝ちゃんと会社に来てるぞ、みたいな感じでね(^^:)。そんな私でしたが、海外に出たことで最も大きく変わったことのひとつがこういったマインドセットです。人間として当たり前のことを以前よりは当たり前に考えられるようになったというか。気づくのが遅いと言われればそれまでですが、そういうことに気づかない人が日本にはまだたくさんいるみたいで・・・。ニートの海外就職日記さんも指摘していますが、「鬱」が増加し、「過労死」なんていうものが存在して、年間の自殺者が3万人を超えるといったあたりは、どう考えても日本での何かが大きく間違っていることの結果としか言えないでしょう。良し悪しは別にしても、日本で育ち日本の教育(部活なども含めて)の中で育つと、多くの人は必要以上にストイックになり、我慢することが美徳となり、自分や身内よりも他人(あるいは外づらあるいは公共性)を優先し、「みんな大変なんだから自分も我慢、お前も我慢」「その程度のことで甘えてはいけない」みたいな考え方がからだ全体に染み渡りますよね。こういう考え方にはいい部分ももちろんあるわけですが、やはり程度問題というか、自分からわざわざあえて苦しい方に追い込む必要はないわけで。そこには「全員がつらいよりは、少しでも楽な人がいた方がいい」とか、「お互いに我慢するよりも、お互いに自由にやりましょう」とかいった発想はあまりないですよね。単に甘え甘やかすのではなく、トータルでのマイナスを減らしプラスを増やそう、というような考え方をもっと取り入れてもよいと思います。Kaifuさんは、「社畜」は自然に絶滅するだろうと予想されていますが、どうでしょうか。海外に出ている日本人(に限りませんが)は、日本はこうだからだめだみたいなことをたくさん書きますが、そういうのを読んで、「けっ」とか思う方もたくさんいることでしょう。私がブログその他で書いたり、JBCとかの活動を通して海外事情みたいなものをせっせとお伝えしようと思うのは、自分自身30代後半になるまでそういう世界のことをまったく知らなかったからです。今どき、意識やアンテナ感度の高い人たちは勝手に情報を集めて必要なアクションを起こしますから、そういう人たちは放っておいていいわけですが、私が意識しているのはどちらかというと何かのきっかけでそれを知れば興味を持つのに単にまだ知らないだけ、という人たちです。そういった私と同じような人はきっとたくさんいるはずだし、そういう人たちに、人生には日本の中に限らないいろいろな選択肢、しかもけっこう充実感のある、今まで以上に人生を楽しめる選択肢もあり得るということをちょっとでもお知らせできればと思うのです。話はちょっと変わりますが、上記のテーマから連想したのが、おくさまに薦められて先日ようやく読んだ、ずっと気にはなっていた村上春樹の「アンダーグラウンド」です。1995年に起きた地下鉄サリン事件の被害者の方々へのインタビューで構成された本ですが、確かにこれも実にいろいろ考えさせられました。地下鉄サリン事件が起きた現場で、当事者にとって何が起きているのかを把握するのはまず不可能でした。その中で、みんなそれぞれの行動をしていました。これは緊急事態だからすべてを放り出してでもこの場を何とかしなきゃと救助の手伝いをされた方々もいた一方で、道端に倒れている人たちはとりあえず無視して、まず自分の職場に行かなくちゃ、という人も多かったようですね。読み終えて沸いた疑問のひとつは、今度もし似たようなことが起きたとしたら、自分や他の人たちはどうするだろうか?というものです。何が起こっているのかわからないまま、この事件では純粋な使命感によって他の人たちの救助に当たった方々が犠牲になったりもしました。しかし次回はきっと「これはサリンかも知れない」とか思うわけで、その可能性を知りつつ、つまり現場に戻ったりしたら自分が死ぬかも知れないということを知りながらも、同じような行動が取れるのでしょうか。例えば自分の家族は他の場所にいて、そこにいるのは知らない人ばかりだった場合、どうすべきなのでしょう?極端な例ではありますが、上の話題では迷わず家族のことが最優先と思ったとしても、ここで自分が死んだら残された家族が困るからという理由で、目の前にある惨劇を無視すべきなのか、死ぬとは限らないのだから、とにかく目の前で苦しんでいる人を助けるべくベストを尽くすべきなのか。逆に自分が倒れて動けない側だったら、何でもいいからとにかく助けて欲しいはずですし、そんな状況で見捨てられたとしたらいったいどう感じるでしょうか。もちろんそんな事件を起こさないということが一番重要ですが、一般市民としては「起こさない」というよりは「起きたらどうするか」ということの方がより現実的な危機管理なのも事実です。でも究極の選択といえる場面でどう行動するか、を事前に決めるのはやっぱり難しいですね。
投稿者: A-POT シリコンバレーのバ... 投稿日時: 2009年10月20日(火) 21:53- 参照(165)
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