おせちの仕込みは単純な作業が多い。ゴボーのそぎ切りや、野菜の面取り、数の子の薄皮を剥いたりなどだ。単純作業は、面白いことに最初の適応障害期を通り越せば、周囲の喧噪も遥かかなたに去り、文字通り頭の中がからっぽになってくる。
頭の中からっぽと言ったけっど、じつはいろんな記憶が蘇ってくる時でもある。どうやらおせちの準備は正月の風景に繋がるようだ。その記憶は、突然よみがえる。
福岡で予備校通いしていた正月は、筥崎宮近くの下宿屋で元旦を迎えた。ここのおかあさんが差し入れてくれた雑煮は、不思議なニオイがした。あとで聞いた話では、福岡はアゴ(とびうお)でだしを取るのでそのニオイだという。あのとき以来食べてないので、一度食べてみたいものだ。
東京の製麺工場でバイトした時は、2日の仕事はじめの昼、ランチをごちそうになった。
おせちの残りが中心だが、新潟出身の社長夫妻が、「上物のすじこがあるよ、おいしいよ!!」といって、ボクのご飯の上にドカンと大振りのものを乗せてくれた。ぼくは今でもイクラはまず食べないのだが、この初めて見たすじこなるものには驚いた。しかも大盛り。非常に困った記憶とその鮮やかな色合いは鮮明なのだが、これをどうやって口にしたのかの記憶はない。もちろん今でも食べたいものではない。
今年も田舎の伯母からもらったタケノコの塩漬けを戻して土佐煮にした。春先に掘って開き、塩にして保存してあるものだ。これをゆっくり戻して炊いていくと、おばやおじたちの会話が目に浮かぶ。○○が作った煮しめがうまい。誰々の豆腐味噌がうまい。あのときの○○がうまかった!! そして最後は、やっぱり死んだばーちゃんの作ったものが一番うまかった!! というところに落ち着くのだが。
戦後の田舎の農家で、ばーちゃんはどういうおせちを用意していたんだろう。
投稿者: 寿司豊味ととろぐ Sushitomi 投稿日時: 2014年1月12日(日) 10:29- 参照(139)
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