9月20~22日 Washington, DCで原発反対のデモが計画されています。
詳細はここをご覧ください
アメリカのエネルギー源を2030年までに再生可能エネルギーに変える嘆願書を2013年に議会に提出する予定だそうです。 その署名はこちら
1月から台湾に帰国していたお隣さんが7ヶ月振りで帰ってきました
今夜はこのお隣さんとご一緒にLos Gatos市のPalacioでお食事をしました
お留守の間に私が3匹のモグラをやっつけたお礼と
じいさんが毎週 ゴミ回収日にチリ箱を出したお礼にといって
ご馳走になってしまいました
ご夫婦とも大学からアメリカに留学
そのままアメリカで就職してアメリカに住んでいます
台湾にはご両親が住んでいらしたのですが
去年からお母様の具合が悪くなり 台湾に残って看病していました
5月にお亡くなりになったそうです
お母様は享年78歳
お父様は今83歳
丁度私も彼女と全く同じ年齢の時に体を壊して退職し
コミュニティーカレッジでクラスを取り始めたら両親が病気になり
学校は途中で止めて実家に帰りました
両親の年も78歳と82歳頃でしたから
私が10年前に歩いた道を彼女は今 通っているところです
お話を聞いていて私も彼女もとても幸運であったと思いました
親が私を必要になった時
子供達は巣立って社会人になっていたし
じいさんは健康で未だ仕事をしていましたし
子供の学費もなくなったので
私が働かなくてもさほど困らなくなったし
そして55歳の私はまだまだ元気でした
全ての良い条件が揃って 両親の最後の3年間を
姉と交代で看る事ができた事は本当に幸運だったと思うのです
交代してくれる姉がいたというのもとても幸運だった事の一つです
これが一人だったらとても出来なかった事でしょう
そしてもう一つ感謝すべきことがありました
当時2003年頃は介護のサービスが徹底していて
毎日3時間 介護の方が来てくださったことです
3時間の間に 私は買出しにも出かけられて
睡眠不足解消の昼寝もすることができました
当時 母は認知症で夜中は2時間おきに目を覚まして
ハンドバッグを持って家に帰ると言い
それをなだめるのに夜は休む暇がなかったのです
私のように今は海外に移住して
親を看たくても帰国も儘ならない方も多いでしょう
そんな中に帰国して両親を看られたということは
本当に幸せだったと思っています
いつもご訪問と沢山の応援を有難うございます。 温度差が大きいお天気ですからお体に気をつけてお過ごしください。
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