このブログは2004年12月に開始していますが、それ以前の2年間弱、自分のレイオフ体験をきっかけにHPを作ってコラムのようなものを書いていました。今から6, 7年も前のことですが、中には今読んでもそれなりにおもしろかったり、あるいは自戒を促されるものもあるので、あらためていくつかこちらにも載せておこうかなと。いや、実は今年100本ブログエントリーを書くという目標を立てたのにまだ22本しか書いていないという事実を最近娘に指摘されたからって、古いネタを焼きなおしてエントリー数を稼ごうなどという姑息な意図は、はい、すみません、若干あります(^^;)。今回のは今からちょうど6年前、2004年4月25日にアップしたもの。そのままいきます。******************************「楽しいことばかりでは・・・」こういったコラムでは、つい何となくよさそうなことばかり書いてしまいがちだ。シリコンバレーはいいところだ、楽しいことが多い、日本人だって十分やっていける、そして自分は充実しています、だからみんなもっと出て来ましょうよ。総論的にはそう思っているのも嘘ではないのだが、だからといってポジティブな面ばかり強調するのは、自分自身でもちょっと胡散臭いものがある。人生そんなに楽しいことばかりのはずはないのだから。私にとって一番つらいのは、なんと言っても英語が不自由なことだ。少しずつ進歩はしてはいると思うけれど、第一言語である日本語と比べたときのギャップは埋まりようもない。その不自由な言語で日々の仕事をし、生活をしていくというのは、当たり前だがやはり厳しいものがある。例えばメールならじっくり時間をかけて読んだり書いたりすることも可能だが、日々の仕事は基本的にface to faceである。リアルタイムのディスカッションでは、正直言って思っていることの半分も言えなくて悔しい思いをすることも多い。とは言っても私の場合は研究職なので、議論はもちろん大事だが、もっと大事なのは実験により重要なデータを出すことである。そして自分の仕事の成果はデータが語ってくれる。そういう意味では英語の壁が低い部類の仕事であるし、だからこそやれているとも言える。従って、現状維持をしていくだけならば実は大きな問題はない。私の仕事であるmedicinal chemistryというのは、ある意味で職人技である。経験を積めば積むほど熟練していく仕事である。関連領域の専門用語さえカバーしていれば、例え自分の頭の中が日本語でも何とかなる。ただ今後の人生設計を考えた時には、もともとそれだけで満足する気はなかったし、いろいろやりたいこともある。しかしアメリカ在住がトータルで4年近くなってきて、英語に関して少々焦りを感じる今日この頃なのである。こんな調子で本当にやりたいことができるのだろうか、という不安が頭をもたげてくる。当初は3年くらいたてばそれほど不自由しなくなるのではないか、という予想をしていた。そして実際に3年が過ぎた今、その予想がかなり楽観的だったということがわかってきたことゆえの焦りである。もちろん焦っても何も始まらないので、とにかく日々努力していくしかない。ただもしかしたら、傍目にはうまく楽しくやっているように見えても、実際にはもちろんそれなりに不安や焦りがあるということだ。しかしながらあちこちで書いているように、それでも結局は気持ちを前向きにしてくれるのがシリコンバレーでもあるのだけれど。******************************私は英語環境で勝負していくことを自分で選択したわけですから、当然こんな泣き言は言ってられません。でも現在、滞米が10年近くなって、子供たちのバイリンガル具合を見るにつけ、やっぱり30代からの言語の壁は高いなあとあらためて実感します。何度となく書いていますが、日本から海外に出るならば、日本と外国双方の理解、将来の仕事の選択肢の広がり、経済的負担など、総合的なバランスを考慮すると、やはり大学院からがベストではないかなと思います。

投稿者: A-POT シリコンバレーのバ... 投稿日時: 2010年4月24日(土) 10:41