渡米して2年3ヶ月、日本とアメリカで今はそれほど極端な生活環境の差というものはないので、自分の物の考え方が大きく変わったということはないのですが、ひとつ変化した、というよりは「身近になった」イッシューとしては同性愛者に関することでしょうか。私は日本にいた頃から自分はずっとリベラルではあると思っていましたが、同性愛者に対する差別の問題は、あまり深く考えずに過ぎていたように思います。知り合いもいないことはなかったのですが、社会の中では「ごくごく少数者の問題」と捉えていたように思います。カリフォルニアに来て、まず「同性愛者に結婚する権利を与えるかどうか」が社会の大きな話題であることに気づきました。カリフォルニア州としては2008年5月に同性愛者に対する結婚が認められ、私の同僚のゲイの女性も含め、おおいにめでたいムードで多くのカップルが結婚を祝いました。その後ショーン・ペンの「ミルク」が封切られ、それにも関わらず大統領選と同時に行われる、カリフォルニア州法に関する選挙では、Prop8(提案8)として、「結婚は異性間に限る」とする法案が通ってしまい、ますますこの論争に熱が加わりました。その中で私の中でゲイに関するものの見方は、「ごく異例な少数者」と捕らえていたのが、同僚と接したり、エレン・ディジェネレス、ロザンヌ・バー、その他多くカムアウトしているこちらの有名人、特に女性の発言を聞くにつれ、「私とおんなじ人間」という感覚がすごく強まってきたのです。おんなじ人間、というより、子供のころから自分のアイデンティティーに対する違和感と戦ってきた分、かれらの物の感じ方や見方は多くの場合鋭く、とても知的な人が多いのです。日本では「おかま芸」によって芸能人として成功している人はかなりいますが、そのようにキャラクターを強調せずに、ビジネスや政治の世界に出て行くことはかなりまれ、特に女性で同性愛者を公言している有名人はほとんど知りません。アメリカはカムアウトしている人が多い分、公的には「ポリティカリー・コレクト」でないので口には出さずとも、"homophobia"、つまりゲイ恐怖の人々も多いのは確かです。日本とは違って、男の子が身なりに気を使ったり、スポーツ好きではなかったりすると、同性から揶揄されることが多いらしいのです。こういう人たちがProp8でいっせいに投票したとしても驚きはありません。しかし、ミス・カリフォルニアがミス・アメリカの決勝で同性愛者の結婚に反対意見を述べて、ミス・カリフォルニアの資格を剥奪されたり、少なくともカリフォルニアにおいて、同性愛者の権利を尊重しないことはNG、という雰囲気は強まっています。アメリカで最も人気のテレビ番組「アメリカン・アイドル」では決勝に残ったアダム・ランバートに関して、最終投票の直前に右翼ラジオパーソナリティーが彼がゲイだと明らかにしたことが、投票を左右して、彼が二位に終わったのでは、という話題もありました。12月12日、全米で人口が4番目に多い、テキサス州ヒューストン市の市長選で、同性愛者を公言している女性のアニース・パーカー氏が当選しました。(関連記事)彼女はヒューストン市の職員として実績を積んでおり、市民は明らかに彼女の仕事能力と関係のない性的指向に左右されることはなく、懸命な選択をしたといえるでしょう。男女差別、人種差別、同性愛者差別、どれも世界中に根強くある差別です。アメリカにいてもまだまだ差別感情がなくならないことは肌で感じます。それでも、自然な感情に流されず、人権に基づいた議論が多くなされ、理性的な決断(そして非理性的な多くの決断)がされる実験場の社会にいることは非常にすばらしいことだと感じています。

投稿者: みーぽんのカリフォルニアで社会科 投稿日時: 2009年12月15日(火) 19:01