サンホゼの日本人町にあるWesley United Methodist Churchで
バザーがあったので行ってきました
日系クリスチャンの教会の催しに行くのは
今年は3度目です
とても印象的なのはどこでもお若い方や子供さんも多くて
大盛況なのです
教会を中心にして日系人コミュニティーの絆が強いのは
とても良い事ですね
ここサンホゼの日本人町は
1972年 私のカリフォルニアの生活が始まった原点です
着いて2ヶ月後から一番街にある東京銀行に就職しました
使用済みの小切手をお客様のファイルに戻したり
お客様の問い合わせ電話に対応という
一番下働きのブックキーパーでした
大抵は バランスができないという問い合わせでしたね
サリーナスは鹿児島県人の移民が多いので
純粋の鹿児島弁で問い合わせが入ると
私も鹿児島弁で応答 懐かしかったですね~
こんなところにも鹿児島県人が頑張っているんだなぁ~と思って
私も励まされたものです
銀行には2つのバスを乗り換えてバス通勤でした
1時間半かかりましたよ
帰りはじいさんが例のダットサンで迎えに来てくれました
仕事の後は近くの日本人の食堂で夕食を食べて帰ったものです
そう食堂という感じでしたね~
鹿児島の食堂よりも田舎っぽくて(笑)
私達の好きな食堂は「日光」という名前だったような
ご主人が料理人 奥様が給仕
少ないテーブルの隣には日本のお土産が売られていました
そしてドバシマーケットにも寄って帰ったものです
当時唯一の日本の八百屋さんでした
1972年のドバシさんと食堂の写真が出てきましたよ!
今回は私達のお話ではないので 邪魔な二人は無視してください
食堂は「Niko」でした!
この八百屋さんは1912年に一世のKinosuke Dobashiさんが開業
太平洋戦争の間 収容所に送られ
戦後は又ここに戻り お店を再開
その後は二世の息子さん達が跡を継いだのですが
2006年に100年続いた暖簾を下ろしました
この頃には日本から大手のスーパーが押し寄せてきましたからね~
今日見ると 跡はニジヤマーケットになっています
日光(Niko)食堂は見つかりませんでした
この写真から42年も経ってしまいました!
未だ じいさんも私も一緒に(別れないで)元気でいる・・・
私達にしては上出来ですよ (笑)
これからもこの調子で最後まで無事に終わりますように~
最後が無事にって無理ですかね~(笑)
今日も一日を大切に過ごしたいと思います
今日はちびちゃんのアイコンで応援してくださると嬉しいです
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