【広瀬隆さんより】3月10日の巨大デモの呼びかけ

【拡散お願い】締め切り2013年2月15日 緊急署名

福島原発事故に関し、厳正な捜査と起訴を求める署名:
福島県内で被曝(ひばく)した住民を中心に1万人を超えており、事前の安全対策を怠ったほか、発生後に避難に関する情報を適切に公表しなかったことで重大な被害を招いた等を訴えています。 徹底した責任追及を求めます。 結果はこれからの原発安全基準にも影響を与えるでしょう。

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1冊の本

フリムン徳さんがこの本を見つけたのは大阪駅前の大きな本屋さんだった。
故郷喜界島から大阪西区の西中学校に転向した中学3年生の終わり頃。喜界島の早町中学校1年に入学してから3年生の終わり頃まで、当時本屋のない喜界島でこんな本を探し続けていた。

小学生の時はイジメをし、中学生になってからはしっぺ返しでイジメに会い、3年間苦しみぬいた。イジメをし、イジメにあう、両方を経験したから、人一倍「人に好かれる」方法を考え続けていた。とうとう見つけたか、やっと見つけたかである。頭の中に明るい100ワットの電灯が付いたようであった。店員のことを気にしながら、長い間立ち読みした。フンフンとうなずく事がいっぱい書いてある。本を買うのじゃなく、うなづく気持ちを買ったような気がしたのを今でもはっきり覚えている。

小学生の頃、フ リムン徳さんは、正真正銘のフリムンだった。同級生の中で一番の嫌われモンだった。めちゃくちゃの同級生1番の根性悪で、村の小野津小学校入学から卒業までずーっと餓鬼大将だった。目立ちがり屋で、負けず嫌いで、遊び、勉強、持ちもの、何でも友達に勝ちたかった。自分より目立つ奴がいるとすぐにいじめた。目立つ物を持っているとすぐに奪いとった。もちろん気にくわないやつ、自分より弱いものは誰でもいじめた。

勝つためには努力したが、目立つためには手段を選ばなかった。
目立つために女の先生のスカートもめくったことがある。先生はどんなに恥ずかしい思いをしたことか。55年経ってから先生と連絡がつき、昔のことを誤った。自分に孫が出来て、おじいさんになってから、小学校の先生に謝る、やはりフリムン徳さんは変わった男であると自分でも思う。また、5年か6年生の時は男の先生の大事なところに触ったこともある。私としては先生の大事なところのズボンにそーっと触れた真似をしただけと思っていたが、その先生は、握ったと言って、それは最高に怒り、私の右頬を思い切り拳骨で殴った。私の奥歯の2本は少し割れて欠けてしもうた。欠けた奥歯の1本は老人になった今でも残っている。餓鬼大将の頃の記念歯や。大事にしようと思うとります。ここで亡くなられた先生や、同級生の皆さんに、深く、深くお詫びいたします。
どうか、お許しください。すべてはこのフリムン徳さんが、悪かったのです。

人間悪いことをしたら、大人にも子供にも罰が当たります。
中学1年生になると、立場が逆転して、私がいじめられる側になり、とうとう私は今までいじめた同級生から村八分にされてしまった。狭い村で村八分にされるほど辛いことはなかった。寂しい、悔しい、悲しい中学時代だった。太平洋の真中で、一人乗りの小さなボートが漂流したら、怖い思いをしながら、悲しい思いをしながら、寂しい思いをしながら、助けを待ち、生き延びようとするに違いない。

村八分は違う。その村から逃げ出したい。逃げ出せなかったら、死にたい。朝昼晩、毎日、この二つを実行することを模索しながら、大阪の中学校へ転向するまでおよそ3年間もがき苦しんだ。まだ世の中を知らない小さな中学生がですよ。でも、やはり、まだ中学生や、世の中に出て何もしないで死ぬのは悔しいと言う気持ちが強かったから、死なずにすんだと思う。楽しいはずの私の中学時代の3年間は刑務所服役時代だったといってもみたくなる。人生で一番長かった苦しい、苦しい3年間であった。3年の10倍の30年よりも長かったように思う。楽しいことはあっという間に過ぎる、苦しいことはその逆のようだった。神様は何でそんなにしたんやろうか。

村八分にされて中学に入ってから、私はすぐに図書部員になった。一番の嫌われモンが猛烈に反省して、人に好かれる人間になりたかったからである。目が覚めたのだ。図書部で、「人に好かれる方法」を書いた本を読み、それを実行に移したかった。それからもう一つ図書部員になった理由がある。放課後遅くまで図書部員活動をしていると、学校から家に帰る時間帯が彼らとずるからである。 でも小さな喜界島の早町中学校学校図書部には「人に好かれる方法」を書いた本はなか。今、考えたら「人に好かれる」学科を教える中学校があるはずはない。

ところが大阪は大きい町、探し求めていた本が大阪の駅前の本屋にあった。
生まれて初めて入った本屋でもあった。ある、ある、どんな本でもある。本が人間を囲んで「はよう、買え、はよう買え」と脅迫しているみたいだった。喜界島の中学校の図書部とえらい違いであった。人に好かれる条件、人にかわいがられる方法、、人に嫌われない方法とかいっぱいある。何冊も所々読んでみたが、専門的な、理解しにくい文章が多い。最後に買うと決めたのは「人を動かす」デ-ルカ-ネギ-’だった。アメリカの有名人、成功者の人に好かれる法、人の使い方、人を説得する法などを具体的な例をあげて、しかもわかりやすく書いてあった。

「人に好かれる法6」
1、誠実な関心を寄せる
2、笑顔を忘れない
3、名前を覚える
4、聞き手にまわる
5、関心のありかを見抜く
6、心からほめる

私は「聞き手にまわる」「心からほめる」が大好きで実行している。自分が話したくても相手の話を辛抱して聞く。絶対に、「その話この前も聞いた」と、絶対に言わずに辛抱して聞く。これはすぐに効果がある。「心からほめる」はほめ殺しではない、ほめ倒しやと思うとります。21歳の時貨物船で貧乏旅行でアメリカに来た時、初めての買い物はデールカーネギ-の「人を動かす」英語版であった。もう私のバイブルみたいなものでした。この本に書いてあることを実行するために、生命保険外交員、セ–ルスマン、おでんや、店員、あらゆる接客業を数え切れないくらい変えてきた。柔道、空手を稽古するみたいに私は中学1年生から62歳の今まで「人に好かれる法」を勉強してきたと思う。人に会えば、「人に好かれる法6」が条件反射のように現れて身構えるようになった。とうとう私\アメリカで生まれた長男も「デ-ル」と名づけた
1冊の本はフリムン徳さんをまじめな徳さんに変えた。

by フリムン徳さん

プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を出版されています。

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最後までお読みくださり有難うございました。 そしていつもご訪問と応援をありがとうございます。


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投稿者: カルフォルニアのばあさんブログ 投稿日時: 2013年1月28日(月) 10:40