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タトゥーと刺青

 英語で刺青(入れ墨)のことをタトゥーと言う。 
夏になると、私が買い物に行く、隣町パソロブレスのウォールマートはタトゥーが花盛りである。気候の温暖なカリフォルニアでは夏になると男もオナゴはんも、肌を好きなだけさらけ出す。
スケベーのフリムン徳さんの夏は、必要最小限の布で覆われたオナゴはんの肌に目が行って疲れるほどである。目いっぱい肌をあらわにした男はん、オナゴはんの品評会のようである。カリフォ二アを南北に走るフリーウェイ101号線のサンフランシスコとロスアンジェルスのほぼ中間あたりの町だから、アメリカの夏の観光コースにこのウォールマートも加えたら、日本人の男たちはきっと喜ぶに違いない。でも、同じ街でも、アルバートソン、ターゲット、ボンスなど大きな店も同じような製品を売っているが、あまりタトゥー人間は見かけない。ウォールマートは安い品物が多いからだろうか。
 肌の品評会だけではない。タトゥーの品評会でもある。タトゥーをした人の多いこと、驚きを通り越して、あきれるに近い。オナゴはんの白いプチプチの肌にも、よれよれになりかけた肌にも、毛が生えた男の肌にもタトゥーが彫り込まれている。
不思議なことに、黒人さんや、中南米の人がタトゥーをしているのをあまり見たことがない。タトゥーはどうも黒肌や浅黒い肌色にはアクセサリーにならないようである。

 日本の刺青は身体に「彫られている」という表現がふさわしいが、アメリカのタトゥーは身体に「描かれている」感じだ。いかにも安っぽい。腕、首の回り、足の甲、足の指先、すね、手の甲、尻と、ところ構わず彫り込んである。全身にしている人も結構いるという。自分の恋人の名前、チョウ、蛇、ハート型、花、何でも描いてまう。漫画みたいである。ほとんどが電気針彫りで、短時間でできるらしい。日本のヤクザの刺青はシャツの袖からの「ちらつかせ」に威力があるが、アメリカのタトゥーは丸見せで値打ちがない。日本では刺青彫り屋の店は見たことがないが、アメリカの街では「タトゥー」という看板を掲げた小さな店をよく見かける。

 この人達のタトゥーを見ながら私は考え込むことがある。
恋人の名前らしきタトゥーを見た時である。もしその恋人と喧嘩別れして、しまったら、これは難儀なことと思う。嫌いになった、分かれた恋人を嫌でも毎日、思いださねばならないのである。決して楽しい毎日はならないであろう。まだ困ることがあると思う。新しい恋人探しである。これは時期が制限される。肌をさらけ出さない寒い時期に制限されると思う。もし寒い時期にできた新しい恋人に、肌をさらけ出す夏になったら、自分の肌に彫られた元恋人の名前をどう釈明するかである。

 では刺青を消したら良いではないか。
ところが消した刺青は見る人のほうがもっと困るような気がする。 
昔、焼きごてで刺青を消した日本人と一緒に仕事をしたことがある。消した刺青の後はやけどの跡のようにただれて、それは刺青よりも目立つ。

 優しそうな顔をしているけれど、「あなたは元ヤクザだったのですか」と聞く勇気がない。その人の過去を悪く想像するだけで、「この人はまたなんかの時に元の悪い人間に戻るのではないか」と怖くもなる。もう刺青を消しているのだから、人生を反省して、まじめ人間になっているんだとは思えなくなる。それなら、まだ、刺青のままのほうが、「自分は元ヤクザだったんだ」と隠さずに言っているようで、正直な人のように思える。

 日本のヤクザの刺青には重みがある。何日も、何ヶ月もかけ、高い金をかけての手彫りである。筋肉隆々のヤクザは腕に彫る。腕の筋肉に自信のないヤクザは背中に裸の女体を彫るらしい。昔、大阪で商売をしていた頃、ヤクザ屋さん(大阪ではヤクザにさんを付けて呼ぶ人もいる)に背中に彫った女体の刺青を見せてもらったことがある。100万円以上もかかったという。鮮やかで、迫力十分で素人さんをびびらすには十分すぎるほどだった。思わず、カタ唾をを飲み込みそうになった。精巧に作る日本のモノ造りとマニュアル通りにしか作らないアメリカのモノ造りとの差は、刺青とタトゥーの差にも現れている。同じものでも日本のは刺青と呼び、アメリカのはタトゥーと呼ぶのがええように思う。

 アメリカ人の彼らにしては、タトゥーは単なるアクセサリーのようである。日本のヤクザの刺青と同じ効果は期待していない。でも、死ぬまで肌からはずせないアクセサリーだ。私が通っているクエスタ・カレッジの白人の英語の先生に聞いてみた。
「就職の面接試験で、タトゥーは影響しませんか」
「全く関係ありません。私の息子もタトゥーをしていますよ」
と言う。そう言えば、カリフォルニアではタトゥーをしたポリスを何度も見たことがある。日本で刺青をした警察官、考えられまっか?日本では刺青はヤクザの印、就職ができない。どうして国が違えばこうも違うのか。

 でも、アメリカ全体がタトゥーだらけかと言えばそうではない。一昨年の夏、カナダに隣接するモンタナ州へ行く機会があった。モンタナの住民は白人が多い。青空市場を見て回ったが、東洋人は一人見かけただけだった。服装はTシャツや軽装がほとんどで、カリフォルニアと変わらない。でも、Tシャツやパンツから突き出ている腕、足にタトゥーをしている人を一人も見なかった。後でわかったことだが、モンタナやアイダホなどは白人主義の州のようだ。タトゥーをしている人や白人以外の人種には口には出さないが差別があるらしい。そう言えば、「徳さん、モンタナ、アイダホ、オレゴンでは、日本人はバーには一人では行かないほうがいい」とその昔、アメリカへ着て間もない頃聞いたことがあった。

 フリムン徳さんは日本を離れる前の約8年間、道頓堀や北新地で二号さん相手に、じゅうたん、カーテン、家具の販売や夜逃げの引っ越し運送の商売をしていた。二号さんの旦那にはヤクザの親分が多かった。商売上の接触から、ヤクザの刺青を目にすることも度々だった。ヤクザにとって刺青は自慢の宝だ。高い金を払い、痛い目をして彫ったものである。他人に見てほしいのである。だから、ヤクザを裸にするのは簡単だ。「刺青を見せてくれ」である。

私は商売をしている頃、大阪のヤクザの親分に惚れられて、その親分の二号さんの娘と結婚させられそうになった。その親分が私とその娘を占ってもらったら、運良く、その娘と私は相性が合わないとの事で成立しなかった。もし、結婚していたら、その親分の二代目になって、今頃は立派な刺青をしている徳さんになっていたに違いない。こんな時に、私の喜界島のウヤフジ(ご先祖様)がいつも私を助けてくれるようです。ウヤフジは私を見守っているようです。
トットゥガナシ、ウヤフジガナシです。

 それにしても、日本のヤクザの刺青はアメリカのタトゥーと比べると、立派な芸術品である。だが、その立派な芸術品はアメリカに持ち込めない。アメリカの空港の移民官は日本人入国者の刺青や小指のない人には注意を払っていると聞いたことがある。
やはり、タトゥーも刺青も、良いものではないようである。

by フリムン徳さん  2009年

プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を出版されています。

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投稿者: カルフォルニアのばあさんブログ 投稿日時: 2012年7月3日(火) 10:12