ベイエリアのお母さん達がブログとメールで拡散をしている
「ヨシダシャノンちゃん 癌治療の為の寄付のお願い」です。

2011年クリスマス前まで元気にプリスクールに通っていたシャノンちゃん(4歳)は、 クリスマス後脳のがんが発見され、Stanford付属の子供病院、Lucile Packard Children’s Hospital にて緊急手術を受けました。 ICUに1か月、その後放射線、抗がん剤治療をふくめたがんとの闘いを今も病院に入院中で治療しています。 

シャノンちゃんのご家族の闘病ブログです。(英語)
(ブログ上にドネーションでtribute to Shannonとありますが、それはブログの運営に使われるものでシャノンちゃんにはいかないのでご注意ください。)

https://www.caringbridge.org/visit/shannonyoshida

下が募金サイトです。 
シャノンちゃんの病状の心配と同時に保険ではカバーしない多額の治療費を前にご両親の苦悩は想像を絶するものと思います。 どうか皆様のご協力を心からお願い申し上げます。 

Credit card、もしくは PayPalにて(英語)
https://www.giveforward.com/shannonyoshida

ご両親からのメッセージ

愛の塩  

このバレーの名前が気になっていた。私の本の応援団の一人、井手尾さんと知り合いになり、彼の口からこのバレーの名前をよく耳にするようになった。
「デスバレー」。私は死のバレーと解釈していたから、聞いてもあまりええ気持ちにならなかった。ラスベガスから車でおよそ2時間のところにある暑い砂漠で、昔、金鉱を求めて行った人達があまりの暑さにばたばたと倒れて死んでいったと言う話を聞いたことがある。そんなところだから、自分で車を運転して行って、もし途中で車でも故障したら、大事になると思って、行く気にはならなかった。
 
 ところが井手尾さんはこのデスバレーが好きで、20数回もキャンプに行っていると言う。もちろん夏は暑すぎていけないから、彼の冬場のキャンプ場である。緑のない鉱石の禿山と砂漠のデスバレーは静かで心が落ち着くと言う。彼はキャンプが好きで、カリフォニアのいろんなところへキャンプに行っているが、デスバレーが特に好きだと言う。彼と話していると、キャンプの話が出ない時はない。彼はキャンプのベテランであり、キャンプにはまっている人のようだ。いつのまにか私も一度はキャンプに連れて行ってもらおうかという気になっていた。

 ついに去年の夏にリノに生まれて始めてキャンプというものに連れて行ってもらった。キャンプの楽しさを始めて経験した。彼のまじめな、そして控えめな、親切な人柄に惹かれたひと時でもあった。特に、うれしく楽しかったのは彼の趣味の料理だった。テレビで有名な料理の達人“道場六三郎”の料理の本で勉強していることを証明してくれた。味にこだわったおいしい沢山の料理を堪能させてもらった。松林の中で小さなテントを地べたに張り、飯盒でご飯を炊き、秋刀魚、イカ、タン、心臓、肝を網で焼く。彼はただの炭では焼かない、竹の炭で焼いた。青竹をコップにして酒を飲んでいるのを見ると情緒があるが、竹の炭で焼くというのも「私たちは贅沢な焼く方をしているんだ」とうれしかった。ビール、濁り酒、そして私の生まれ故郷の喜界島の焼酎までこのアメリカで手に入れて持ってきてくれた。ますます彼が好きになった。気の合う人同士が星空の下でたらふく飲んで食べて、語り合うキャンプはまさしく最後の晩餐会ではなく、最高の晩餐会であった。

 綺麗な枝ぶりの大きな松ノ木が、天にも届きそうな高い松の木が、私に星空の下で語りかけてくるようであった。ざわざわと揺れる松の木の枝に私は夢中で話し掛けた。傍の井手尾さんは私が「松ノ木が喜んでいる」と言うと「徳さんは松ノ木と話している」と面白がった。木を扱う大工を長年してきた私には綺麗な木は松の木であろうが何の木でも何か親しみを感じて、思わず話し掛けたくなるのである。これは大工を経験した人には多いかもしれない。道を歩いていて別嬪さんを見たら声をかけたい、あの気持ちになる。山の中の星空の下でご飯を炊き、食べて、飲んで、語り合い、地べたに張った小さなテントに寝る、たったこれだけのことが、昔の人は誰でも普通にやっていたことが、今の私達には楽しい遊びになり、幸せ感に浸れる。これが世の移り変わりというものでっしゃろうか。

 私の二度目のキャンプは、12月31日の年越しと1月元旦の初日の出をデスバレーで拝むことになった。今度は私の嫁はんも加わって、井手尾さん、私3人で行くことになった。寒い冬はたいていのキャンプ場が閉まっている。暖かいデスバレーのキャンプ場は混むということで6ヶ月前にインターネットで予約して場所を取ってくれた。

 テント、寝袋、鍋、釜、ビール、酒、焼酎、そして井手尾さんのJALのマイレッジでもらった、おせち料理、年越しそば、雑煮用のお餅を満載して3人が乗った井手尾さんのVANがデスバレーに着いたのは昼過ぎだった。見渡す限り高い禿げた鉱石の岩山に囲まれた砂漠の中に小さな緑の固まりがあった。これが私たちがキャンプするところだ。小さなゴルフ場までもある。テレビ番組のウルルン体在記のサハラ砂漠のオアシスを思い出した。暑いところで住むには始めに木を植えて陰を作る、人間が作ったオアシスに違いない。私たちが住んでいる暑い山の砂漠といわれるブラッドレーでも家を建てる前に木を植える。

 この広い砂漠は喜界島がいくつでも入るような広い広い盆地になっている。月の表面もこんな感じだろうなあと思いながら井手尾さんの運転する車の中から眺めていると、この砂漠の盆地はだんだん湖のように光っているところが多くなってきた。白い塩が太陽光線で光って、水のようにも凍った氷のようにも見えるのだ。

 大昔に海底が盛り上って、このデスバレーが出来たと説明してくれる。彼は人一倍本を読んでいるから物知りだ。ガイドさんにになったらいいと思うほど、モノをよく知っている。周りの高い岩石の山々に囲まれたこの塩の砂漠は海面下85メートルと言う。自然の不思議さに圧倒されるだけだ。行けども行けども高い岩石の禿山と白い塩の湖だ。アーティストドライブと名付けられた道を行くと色とりどりの鉱石の山が目の前に現れる。思わずカメラのシャッターを押さざるをえない。この山を絵の具のパレットと呼ぶと言われると確かに山全体が色とりどりの絵の具のパレットに見える。山とは木が生えて緑のある山ばかりが人間の心に自然を感じさせるのではないのだ。木がなくて、緑がなくて、岩石だらけの禿山も人間に自然を感じさせるのだ。

草や木の生えている緑の山は動で、木の生えていない、緑のない、鉱石、岩石の禿山は静のように感じた。この岩石の高い禿山を見ていると、何かが私の身体から消えていくような感じがした。何であるかなかなか思いつかなかったが、デスバレーを離れて緑の山を見た時にやっと思いついた。それはある言葉だったような気がした。そうだ「怒る、腹を立てる」と言う言葉が私の身体の中から消えていたように思えた。周りが高い岩石の山々に囲まれた広い砂漠の真中に立つと自然の不思議さや大きさに圧倒されて、人間は自分を小さく感じるからでしょうか。

とうとう、真っ白い氷の海が一望に見渡せるビューポイントに着いた。またしてもウルルン体在記の北極海の氷の海を思い出した。白い塩なのに写真に撮ったら、まさしく氷のように見える。パーキングに車を停めて白い塩の海を散歩することにした。階段を下りて木のデッキを歩いて私だけが気が付いたに違いないと悦にいったことがある。元大工だからだ。デッキの板を留めてあるボルト、螺子が塩で錆びないステンレス製なのだ。大工の私はそれを皆に自慢してうれしがった。塩の上じゃなくて氷の上を歩くみたいだ。だが、こんな山奥の砂漠に海でできる塩があるのだ。動物が生きていく上にどうしてもなくてはならない塩、料理屋さんが店の前に盛り塩に使う塩、また身を清める塩なのだ。舐めてみたらやはり辛かった。

インターネットで塩について面白い話を見つけた。昔々、中国の王様が牛に乗って、町中の綺麗な女の家々を回っていた。女達は王様に自分の家に入ってもらうためにあらゆる知恵を絞って競争した。ところがいつも一人の女が王様の愛を独り占めにした。牛が必ずその女の家で止まるのだ。理由は家の前に牛の好きな塩を盛り塩してあった。塩で身を清める話は沢山見つけたが、どうして身を清める為に塩を使うようになったかは探せなく、2、3の人に聞いてもわからん。TVファンの社長に聞くと西本願寺か東本願寺のお坊さんに聞くとわかるはずだと言う。話したこともない人に電話で「どうして身を清めるために塩を使うのですか」と聞くのも恥ずかしい気がしたので物知りの00さんに聞いてみた。私は彼の考えに賛成することにした。「塩は殺菌力が強いから、物を清めるために一番じゃないか」と思うと。誰かほんとの謂れを知っていたら教えてください。

この身を清める塩を清めるために、わざわざロサンゼルスから一升の酒をデスバレーまで持ってきて、酒でデスバレーの塩を清めた人がいる。これは深い訳のある親子の愛情物語である。この本人が井手尾さんである。彼は10数年前に日本からきた母親をこのデスバレーに見物に連れてきた。近くにトイレも何もなかった当時、母親が小さいのをもよおした。仕方がないので車の陰で、この清めの塩の上で済ませてしまった。日本の母親はそれ以来ちょっとした病気になってもこのことを気にしたらしい。10年前になくなったこの母親の気がかりが気になり、彼はとうとう友達と二人でこのデスバレーの母親のした同じ場所にロスアンゼルスからわざわざもってきた一生の酒で清めの塩を清めた。私はこの話を聞いて、胸がジーンとして、井手尾さんにまたしても惚れてしもうた。清める塩を清めるのはフリムン徳さんの好きな酒であった。

by フリムン徳さん

プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を出版されています。

2011_10_07_tokusan

今日もフリムン徳さんのエッセイを読んでくださって そして応援 ↓ も有難うございます。


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投稿者: カルフォルニアのばあさんブログ 投稿日時: 2012年3月3日(土) 12:57