それは4度目の挑戦だった。過去3度に渡ってChallengeしたが、いづれも話が途中で進展しなかった。どうしてこの話がまとまらないのか。非常に悔しい思いをした。時期尚早なのか、あるいは自分に力が足りないのか、はたまた縁がないのか。一体どういうことなのか。それでも諦めなかった。どうしても諦められなかった。とにかく自分を鍛えよう、そして機をつくるのだ。こうしてChallengeは継続され1年が経過した。そして運命の日が来た。「ポジションができたのでうちで働いてみないか?」* * * * *チャンスは待つのではなく、創るものである。シリコンバレーで働いて肌で学んだことであった。待っていてもチャンスは決して転がってこない。また、仮に転がってきても準備不足でモノにできないことが多い。逆に、チャンスを創り上げていく作業を継続する。そうしてやっとの思いでチャンスが目の前に来る。そのチャンスは絶対にモノにしないといけない。そうでなければ、自分の手をすり抜け、二度とそのチャンスは来ない。僕はこれをhard wayで学んだ。あれは数年前のことである。当時の潜在顧客とわずか2度に渡るMeetingを終えた直後だった。「是非うちで働いて欲しい!」 耳を疑った。まだ2回しか会っていない。確かに最高のMeetingができた。先方の質問には全て満足のいく回答を即答できたし、商談も素晴らしく良い方向に進んでいる。でも、2回しか会っていなくて、それも実際の取引も始まっていないのに「うちで働いて欲しい!」なんて、そんな訳ないだろう。いや、でも確かに初回に会ってから、先方が知りたい業界情報をプレゼン形式にまとめて送ったりしたし、そこも評価されたのかもしれない、などと色々な思いがよぎった。当時僕は日系企業の駐在員としてシリコンバレーに派遣されており、小さいながらもSales Officeを任せられていた。北米市場顧客を全て統括し、どの顧客をどう攻略していくか、全ての戦略を担っていた。売上も順調に伸び、現地社員を二人採用し、北米市場は最重要戦略拠点となっていった。ちょうどその時にお誘いを受けたのである。誘ってくださったのは、2000年4月に設立されたばかりの振興Wafer Foundryであった。鳴り物入りで市場に参入してきた中国の会社である。当時はまだFab1が生産を開始したばかりで、果たしてこの会社が成功するかどうかはまだ誰にも分からなかった時代である。シリコンバレーの事務所にはまだ5名しかいなく、6人目として北米市場開拓に協力して欲しいという話であった。初めて誘われた。正直かなり嬉しかった。行きたかった。でも相当悩んだのも事実。シリコンバレーにきて3年目、30歳のことであった。色々な思いが巡った。駐在員としての立場は?最重要戦略拠点にまで育てあげ、事務所も任されているのではないか?ここで辞めたら事務所はどうなる?まだ後進育成ができていないじゃないか。でも行きたい。この将来性のある会社で働いて、IPOをさせたい。結局、事務所を任されているという立場から、このお誘いを丁重にお断りした。「事務所を任されています。今は辞められません。時期がきたら是非お願いします」。それでもその方はどうしても面接だけでも受けてくれ、といい、日時を指定され、一方的に電話をきられた。そんな訳で指定された日時に行くと、従業員が暖かく出迎えてくれた。「よく来てくれたね!」「これから一緒に頑張ろう!」 い、いや、違うんだ、僕は今日は断りに来たんです、なんていう暇もなく、部屋に通された。待っていると来たのはなんと社長だった。「何年も働いている会社を離れるのは辛いでしょう。大丈夫ですか?」と始まった。いや違う、今日は断りに来たんだ。同じ理由を説明した。みるみる社長の顔を曇った。でも誠意をもって対応した。今は時期じゃないんです、今僕は離れられない立場にあるんです、あと数年、いや一年、待って欲しいのです、という思いを伝えると、理解してくださった。「今日はわざわざ来てくださってありがとう」 とても紳士だった。そして一年が経過した。新規顧客を30社以上開拓した。顧客の満足度も競合を抜いて抜群に良かった。北米市場の戦略の道筋もたてた。後進も育てた。基盤は整った。さあ、やっと自分のことをTake Careできる!と思い、その会社の門を叩いた。ところが、そのアメリカ事務所は既に15名にまで膨れ上がっていた。しかも採用を凍結しているという。何故採用を凍結しているのか?と聞くと、「IPOが間近だから」という答えが返ってきた。結局その会社は2004年3月にIPOを果たした。しかも鳴り物入りで市場参入した通り、業界で一気に4位に踊りでて、2005年は業界Top3になっている。あの時あの道を選んでいたら。あの時あのOfferを受けていたら、大量のストックオプションで今頃は。。。色々な思いがよぎった。チャンスが自分の手をすり抜けていったのを自覚した瞬間であった。この出来事以来、チャンスは逃してはいけないと思った。* * * * *ずっと行きたかった会社があった。前職の時の顧客だ。3年以上継続して業績が右肩上がりの会社である。こんな会社はない。すごい勢いで成長を続けている。Execution能力が半端ではない。やるといったら実現する。いつか僕はここで働く!と思っていた。「ポジションができたのでうちで働いてみないか?」声をかけていただいたのはまさにこの会社だった。過去に3度挑戦した企業。なかなか話が進展しなかった企業。1年前に「脱藩」した際この会社に行きたかったのだが、Positionに空きがなくどうしようもなかった。それならば、そこに行くまでにWaferの経験を積もうと思い、現職に至ったのである。現職についてからもコンタクトは欠かさなかった。半導体市場の情報をまとめ、毎月数個のマーケット資料を送信し続けた。自分を磨き、価値を高めよう。そう思い、この一年間頑張ってきた。4度目の正直。ついに念願叶い、自分が行きたかった企業で働くことになる。Fablessである。今までの業界の延長戦ではあるが、FoundryからDeviceのSalesへと転向する。一からの出直しになる。でもこれが僕の行きたかった業界。いようし! 絶対にやってやる!

投稿者: シリコンバレー発 脱藩組の挑戦 投稿日時: 2005年8月16日(火) 22:56