このたびの東北地方太平洋沖地震、

まずは亡くなられた方々へ心から哀悼の意を表します。

被災された方々へ心からお見舞い申し上げます。

そして、未だ行方不明の方々がまだまだ大勢いらっしゃいます。

地震発生後9日目にして無事が確認された方々もいますので

望みを捨てずに・・・そう思っています。

実は地震の翌日から日本に帰国しておりました。

もともと11日の金曜日から一時帰国をする予定でチケットを購入していました。

地震が発生したのは出発前夜。

帰国前に用事を済ませたり、最後の買い物をして自宅に戻ると

帰るなり、夫が

「東北地方でものすごい地震が起きたよ! 首都圏も被害があったらしい!」と叫びました。

私は兄が盛岡に住んでいるため、すぐにSkypeで電話をしました。

地震発生直後だったこと、Skypeだったことが幸いしたのか

兄の携帯に電話がつながり、兄一家の無事は確認ができました。

ただ、非常に電話がつながりにくくなっていたので

実家近くの病院に入院している父の様子がわかりませんでした。

兄も電話をしたそうですが、つながらないとのことで

私から確認をしてほしいと頼まれました。

何度も電話をしましたがまったくつながりませんでした。

この段階で日本に帰国することをどうしようと考えました。

成田空港はこの時閉鎖中で、予定していたフライトが飛ぶのかどうかさえ分からない状態。

とりあえず、荷物を準備しながら考え・・・

結果、もし飛行機が飛ぶなら行こう、と決めました。

というのも、書類の関係で、3/24以降、しばらくアメリカから出国できないこと、

また、父のことが心配だったためです。

11日の朝、UnitedのWebで確認をすると

10日に成田に向け飛んだ飛行機は結局横田基地に着陸、

そのため、折り返しの成田-サンフランシスコは欠航でしたが

サンフランシスコ-成田は予定通り出発する様子。

ちなみにこの日、シアトルやLA発のフライトはキャンセル、

シカゴとサンフランシスコからはハブの関係か飛ばしたようです。

前日は地震後すべて止まっていた電車も

本数はかなり限定されていたものの、動いていたので

成田に着いた後、まずは父の病院に向かいました。

本数が少なく、またすべて各駅停車だったので時間はかかりましたが

道路は大渋滞だったようで、電車が動いたことに大変感謝でした。

前日が透析日だったのですが、地震で行えなかったようで

翌日に振り替えられたため、父は透析室にいたので、その日はゆっくり話はできませんでしたが

私の顔を見て安心したのか、そして兄一家の無事を伝えたことで涙を流していました。

看護師の方々も兄が岩手に住んでいることを御存じなので

みなさま心配してくださっており、一様に「よかった!」とおっしゃってくださいました。

あとで看護師の方に伺ったのですが、

地震が起き、東北地方の被害がひどいとニュースで知った父は

もう、それは半狂乱のように兄一家を心配していたとのこと。

自分自身では無事を知るすべがないため、気が気ではなかったようです。

日本に着いてからは兄への電話はまったくつながりませんでしたが

なんでも携帯に電話をすると

「こういう人から電話がありました」と兄の携帯にメールが届いたらしく、

私の携帯に公衆電話からかけてきてくれました。

その電話で父の無事や実家の様子を伝えることができました。

実家もかなり物が落ちていましたが

家具が倒れたりといったことはなかったのが幸いでした。

ただ、テレビで震災のニュースを見て、

刻一刻と変わっていく状況や被害の甚大さを目の当たりにし、

この地震がどれだけのものだったのか、大変衝撃を受けました。

そして、被災された方々の思い、悲しみ、どこにもぶつけられない怒り・・・

幸い、私の家族は無事でしたが、

画面を見ながらその気持ちを考えるとやりきれない、何とも言えない気持ちになりました。

そして、私の実家のある首都圏でも、

計画停電の実施、それに伴う、JR・私鉄各線の運行調整、

買いだめや輸送困難による物資・ガソリンの不足、

さらには原発問題等で不便な生活が続いていました。

それでも、みなさん、「被災地の方々を思えば・・・」とおっしゃっていました。

実際、被災地近くでもっと不便な生活をしている兄でさえ

「避難所にいる人たちの苦労を考えたら家にいられるだけ幸せだよ」と言っていました。

でも、私は・・・私はどうなんだろう・・・

たかだか1週間ちょっと、この地にいるだけ、

実際はこの地で生活をしていない私は、

この未曽有の大地震で、被災地の方々の大変さはもちろん

日本中が苦しい思いをしているのに、

対岸の火事的な見方しかできていない、

本当の意味で気持ちを理解していないのでは?と思ってしまいました。

そう考えたら、日本にいることが大変申し訳なく・・・

たとえ私一人でも、実家に入れば、最低限の灯りや暖房はつけるし、テレビも見る・・・

なので、1日でも早く帰ればそれだけ電力の消費も少なくなるだろうと思い、

アメリカに戻ってきました。

非常にネガティブな思いでの日本帰国になってしまいましたが、

最後に母方の叔父がこう言ってくださいました。

「病院にいるとはいえ、一人でいるお父さんはKちゃんの顔を見て

心から嬉しかったし、本当に安心したと思う。

お父さんの無事を岩手のお兄さんに知らせることができたこと、

お兄さん家族の無事をお父さんに知らせることができたこと、

そして、親戚中にお父さんやお兄さんの無事を知らせることができたこと、

それが何よりの親孝行だよ」

こんな時に日本に帰ってきてよかったのか・・・と考えていた私でしたが

この一言で、少しだけ救われ、今回の帰国も意味があったと考えられるようになりました。

そして・・・私が落ち込んでどうする!

被害にあわれた方々はもっと辛い思いをしている、

心にいっぱい傷を抱えているのです。

微力だけれども、私にできることで少しでも役に立てば・・・

そう、前向きに考えられるようになりました。

私にできることは限られていますが、でも、0ではありません!

日本は私の大事な故郷ですから・・・離れていても気持ちは一緒です!

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いろいろ考えることがあり、

今回の記事を最後に、このブログを終わりにしようと思います。

2005年4月からスタートし、約6年間、途中お休みした時期もありましたが

よく続けてきたな・・・というのが正直な気持ちです。

ブログを通じて、実にたくさんの方々と知り合うことができました。

本当にみなさまには感謝、感謝です。

みなさまのブログにはこれからもどんどんお邪魔させていただきます!

これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

6年間・・・ありがとうございました。

campbell

投稿者: Campbell CA ベイエ... 投稿日時: 2011年3月23日(水) 04:30