MさんがYMCAの水泳のクラス中に心筋梗塞、その3ヶ月後の脳梗塞で倒れてからもう6年になるでしょうか。全く歩けなかったMさんは奥様の手厚い介護で段々と回復されて、現在はゆっくりですが杖で歩けるようになっています。 IT産業の管理職までお勤めされただけあり、とても気骨のある方でした。倒れる前に一度だけお会いしたことがありました。脳梗塞で左半身が麻痺になってからは、段々口数も少なくなり、勘違いされることも多くなりました。リハビリのクラスにお連れする道中、私の話しかけにも質問にも最近はあまりお答えになりません。 あまり話しかけてもお疲れになるのかしらと思って、私は黙って運転することが多くなりました。一時間目は運動のクラス。2時間目はコミュニケーションのクラス。コーヒータイムで休憩3時間目は座って上半身の運動 でリハビリは終わります。2時間目のコミュニケーションのクラスはプリントの質問に答えを書き込むクラスです。質問は簡単な計算問題から色々ですが、今日のプリントは単語の順序がばらばらでそれを文になるように並べ替える質問でした。例えばthree breakfast pancakes I for had(三枚 は 朝ごはん パンケーキ 私 に 食べました を) そうです。小学生向けの問題です。Mさんは10問中4問の答えを書き終わると、宙を見たまま、次に進もうとしません。 私は又問題に注意を引こうと、「Mさん、先ず大文字の単語を最初に持ってきたら簡単ですよ」と申しました。それでもMさんは全く質問を続けるつもりはないようでした。注意力が持続できなくなってきたのかもしれないと思いました。どうやって又Mさんの注意を質問に戻そうかと思案している時Mさんは質問の紙を裏返して突然 私の名前を2通りの漢字で書かれたのです。一瞬私の目が輝いてしまいました。 「これです!」と最初の漢字にチェックマークをすると、今度は何と!その下に「九州、鹿児島」と書かれました。私は思わず「はい、そうです」と下に書きました。本当の事を言いますと、Mさんは私の名前は覚えていらっしゃらないだろうと思っていたのです。一度も名前を呼ばれた事はありませんでしたから。 それを突然二通りの漢字で書かれたのですから驚きです。しかも名前どころか、出身地までちゃんと覚えていらしたとは。もう一つの名前の漢字は、私も書けない難しい漢字。そしてすらすらと書かれたのです。私は自分が恥ずかしくなりました。そしたら、ご自分と奥様の生まれ故郷、どうして奥様と知り合ったのか。初めて会った時奥様と汁粉を食べたことそれを聞いて奥様のお兄様が「男のくせに汁粉など食べる奴はつまらん」と言われたこと書かれました。この時のMさんのお顔は声を出さない大笑いのお顔でした。私は続きの話が聞きたくて夢中でMさんに質問を書いていきました。Mさんも今までにない笑い顔でした。私はというと嗚呼~漢字がすらすらと出てこない!何とひらがなの多い文章ぞ!! 恥ずかしい。今日はMさんと楽しい手書きのコミュニケーションができたことをとても嬉しく思います。英語のスクランブルになった単語を正しく並べ替えるお勉強よりも、こちらの方が何倍もコミュニケーションになった気がしました。話せない方は脳の働きが遅いと思ってしまいがちです。確かにMさんも大きな勘違いをすることもあります。でも喜びや悲しみ、楽しい思い出、何一つ失くされていないことが分かりました。今度からはもっと運転中にも話しかけてあげなくては。私の家族の話でも、無表情にしていらっしゃるけど、楽しんで聞いて下さっているのかもしれませんから。今日も我がブログにご訪問有難うございました。
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