金で買えるアメリカ民主主義金で買えるアメリカ民主主義(2003/04)グレッグ パラスト商品詳細を見るアメリカに来てから、以前買って読み流しておきながら、きちんと読み込めていなかった本を読み返しています。ここでご紹介する「金で買えるアメリカ民主主義」は2003年の出版、邦題からは単にアメリカ批判本のようですが、実は日本にもばっちり当てはまる、「新自由主義」の実態を暴く本でした。著者のグレッグ・パラストは、学生時代「新自由主義」の旗振り役、シカゴ大学のミルトン・フリードマン教授のゼミに属していたそうです。そう、アルゼンチンのネオリベラリズム実験をおしすすめたシカゴ・ボーイズと机を並べていたわけです。でありながら労働者や消費者サイドに立ち続け、大企業の不正の調査に携わり、その後は主に英国のガーディアン、インディペンデント、といったメディアで調査報道を続けています。このたった一冊の本の中に、 −2000年の大統領選時のフロリダ州における有色人種の投票権剥奪 −アメリカにおける、「規制緩和」に対するエネルギー企業のロビー活動がカリフォルニアの停電、電気料金の高騰を招いたこと −南米、アフリカなどにおけるIMF・世銀主導で、「財政赤字の削減」という大目的のために、国営企業の民営化や、義務教育の有料化などがすすんできたこと −エクソン・バルディーズ号の原油流出事件における不正の隠ぺい工作 −イギリスのジャーナリストたちの「自主規制」問題その他まだまだ盛りだくさんの内容が詰め込まれています。パラストが他の「ジャーナリスト」と一線を画しているのは、丹念に情報提供者を探し、証拠になる書類のコピーを手に入れ、調査の裏づけを取っている点でしょう。プレス・リリースや記者会見に頼り、調査の対象者に直接電話をかけて否定されたら記事にしない、、という記者たちと、パラストの態度には大きな違いがあります。うわさや憶測で書かれる多くのブログを読んで、似たような思考回路のパターンに自分もはまりがちなところだったので、たいへん新鮮でした。国営企業の民営化については、ジャン・ジグレールの「私物化される世界」に詳しいので、興味がある方はぜひお読みいただけたら、と思います。わたし自身、某外資系の投資銀行に3年間勤めていたので、「民営化案件」がいかに銀行を潤し、一部政府関係者においしい話かよくわかります。儲け話というのは、「まだ市場に出ていないが確実に売れるものを誰が一番に商品として売り出すか」にかかっています。それが家電など、買うかどうかは個人の自由であるなら何の問題もないわけですが、公共企業の「規制緩和」「民営化」は、消費者に選択の余地のほとんどない独占市場になり、電気や水道といったものが、いつの間にか民営化され、「安くなる」という約束のはずが、多くの場合逆に高くなってしまう、、ということでしょう。ここで興味深いのは、アメリカの電力会社など公益企業はルーズベルト(FDR)大統領のおかげで、さまざまな規制が課せられ、消費者のための料金は低く抑えられてきたという事実です。(もっとも規制緩和以降、電力料金は高騰し、その分を州が肩代わりさせられて、カリフォルニア州の当時のデービス知事が辞任に追い込まれるまでになっています。)実際アメリカは日本に郵政民営化を押し付けておきながら、米国郵政局は立派な政府機関のままです。パラストの批判は以前私がスティグリッツの「世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す」を紹介したときにも触れた、クリントン・ゴア政権下で推し進められた「知的財産権」の濫用にも及んでいます。要するに「自由貿易」を標榜しておきながら、米国以外の製薬会社がジェネリックのHIV治療薬を安価で販売することを妨害している例が代表的なものですが、そこで途上国の医療問題に多額の寄付をしているビル・ゲイツの財団が、米国製のHIV治療薬の安価での提供に資金を提供すると同時に、なぜかそれらの製薬会社の株も購入していることまで指摘しています。「知的財産権」主張仲間なんですかね。くだんのHIV治療薬は決して製薬会社のみによって開発されたものではなく、危険なウィルスを扱うことを恐れた製薬会社が、開発の大部分を国立衛生研究所の研究に頼りながら、最終的な薬品の知的財産権はちゃっかり獲得した、のだそうです。納税者の金で開発された医薬品が、マーケティング費などが上乗せされた法外な値段で国内外の患者に提供される、というわけです。私が学生時代政治を学んでいた頃は、警戒すべきなのは国家の強権支配であり、「国際化」により国家の主権が徐々に「国際機関」に委譲されて行くのは、国際平和のために良い、というのが定説でした。その80年代当時はいまほど国家を超える企業の力は、政治学の枠組みでは無視されていました。在学中に、ベルリンの壁の崩壊とともに「社会主義」もしくは「政治イデオロギー」に死亡宣告がなされ、政治学という学問自体が人気を失い、誰も彼もが「(新古典派)経済学者」の宣託を伺うようになってしまいました。いまや企業のカネの力が、各国の政府をハイジャックし、一般の納税者の力を無力化してしまっている状態だというのに、わたし自身も含め、「政府批判」「政治家批判」をしておきながら、営利企業の論理を忘れがちになっていると思いました。翻ってもし自分が大企業を経営する立場になり、株価をアップしようと思えば、頼れるだけ政府からの補助金や減税をプッシュするロビー活動を行うと同時に、海外での市場獲得のために民営化話があれば飛びつくことでしょう。これは特定の企業を批判して済むことではありません。株主資本主義のもと企業を経営する、とはそういうことです。だからこそ、営利を求めるのが自然である企業を御していくためには、さまざまな法制度によって規制を課し、監督官庁がきちんと監視していかなければならないでしょう。フリードマンは、ナチスに代表される国家による統制をあまりに嫌うあまり、規制などなくても「不正を行ったり、質の悪い商品を売る企業は自然に淘汰される」と主張しましたが、それは企業の不正が全て明るみに出て全ての消費者に知らされるという前提があればの話ですよね。だいたい企業の不正を明るみに出す、などというのはお金にならない、むしろ妨害されることであり、パラストもアメリカのメディアでは仕事は干されている状態です。消費者運動、というのも参加者の善意による無償の労働に頼る以上、金の潤沢な企業の前には限界があるとわたしは思います。また、財政赤字という人質をとられ、融資が欲しいばかりに国営企業を切り売りしている途上国諸国の国民を守るために、現在の自由貿易協定の枠組みの中に、環境保護、労働条件、水や電力への安価なアクセス、といったものの優先を条件付けていく必要があるでしょう。パラストのような調査報道を行う人がいるのは、わたしたち一般の人々にとって幸運なことですが、逆に金の力で法律が変えられたり、その適用が恣意的にされるような現状のシステムに大きな欠陥があるから、こういう人がいないと、真実が明るみに出ないということでもあると思います。ここまで気がめいるような内容を書いてきましたが、実際のところ庶民を守る法律を守る力は、有権者であるわたしたちひとりひとりにあるのです。大企業、ロビイスト、癒着政治家たちの前で、実は私たちは無力ではない、パラストは最終章でその力強い真実も思い起こさせてくれています。がっくりくるような真実から目をそむけず、とれるアクションはとるぞ、と勇気を新たにもらった2度目の読書でした。

投稿者: みーぽんのカリフォルニアで社会科 投稿日時: 2008年2月27日(水) 17:22