姉とSkypeで話をしていたら
無性に鹿児島に帰りたくなりました
堪らなくなって 実家を覗いてきましたよ
門から3メールまでしか近づけませんでしたが
門は両サイドとも開いていました
両親が住んでいた時からこの門は一度も閉じたことがありません
両親が生きていた時のままでした
父の墨字で書かれた表札も全く時の経過を感じさせないものでした
ただ 玄関の横に並んでいた
大きな紺色の植木鉢が見当たりません
ここには母が挿し木で増やしたゼラニゥムが並んでいたのですが
玄関前の素焼きの鉢はそのままでした
石の陰になって何が植えてあるのかは分かりませんでした
ここは適当に雨がかかるので
鉢植えでも生き延びていたのですね
2008年に帰った時は叔母が譲ってくれた
白のカラーが生きていました
父がよくカラオケをしていた2階の窓はカーテンが開いています
閉めた方が家具が日焼けしなくていいのにね
さつきの垣根はまるで昨日剪定されたように
綺麗に切りこまれていました
おかあさ~ん ちょっと 出てきて~
心の中で呼びかけたら
涙が止まらなくなってしまいました
元気な母が今でも直ぐに玄関から出てきそうな気がしてきました
今 1995年の春です
中に入りたい
お母さんに会って 話がしたい
今日もご訪問有難うございました。
今を大切に過ごしたいと思います。
応援をしてくださるととても嬉しいです。
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