9月20~22日 Washington, DCで原発反対のデモが計画されています。 
詳細はここをご覧ください。

アメリカのエネルギー源を2030年までに再生可能エネルギーに変える嘆願書を2013年に議会に提出する予定だそうです。 その署名はこちら  

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子孫に美田を残さず

 「徳さん、私の金を取り返すために、一緒に私の銀行に行ってくれませか?」
「何!! 自分の金を取り返すために、銀行に行くんやって?」

 アメリカで30年近く、親友として付き合っていた81歳のおばあちゃん“ヨシさん”が元気のない顔と声で徳さんに言う。こういう顔を葬式の顔というのだろうか。おかしな話である。亡くなる1年前だった。自分の12万ドル(1100万円)の預金が他人の名義になっているというのである。何年か前に大阪で、ある人が仕事で1週間ほど家を空け、家に帰ってみたら、自分の家が跡形もなく、なくなっていた。建築業者が、建て替えを依頼された家を間違えて解体し、更地にしてしまったというテレビ番組を見た事があるが。

 徳さんは何年か前、350ドルの金を自分の預金から引き出した。そのまま受け取り、銀行の外に出てから勘定してみたら、150ドル余分にあった。レシートを見ると、ちゃんと350ドルである。慌てて、引き返して、余分のお金を戻し、その行員に非常に感謝してもらったことがある。これで、日本人は正直者であると思わせたと、徳さんは一人心の中でうれしがった。「徳さん惜しいことしたなあ、150ドル(13500円)でなんぼのビールが買えたんや」、ともう一人の酔っ払いの徳さんは嘆いているようである。銀行員は楽々と徳さんから金を取り返したことになる。でも、逆に、銀行の外に出てから、引き出したお金が足りなかったことに気付いた場合、銀行は不足分を支払ってくれるだろうか。果たして、銀行はヨシさんを喜ばしてくれるだろうか。

 ヨシさんは32年前にフィリピーノの夫を亡くした。それから81歳になるまでロサンジェルスのダウンタウンにある貴金属会社でネックレスの修理を専門に働いていた。何のために、どのようにしてヨシさんは12万ドルの金を貯めたのだろうか。自然と貯まったのである。車社会のアメリカで車の運転免許証を持っていなかった。好きなところへも行けない、好きなことも出来ない、金の使い道がなかったのである。でも、車は乗らなくても亡くなった夫の車は大事にガレージに保管していて、いつもピカピカに磨いていた。たまに徳さんは頼まれてエンジンをかけ、簡単な点検をした。これは使い道のない金をせっせと残す精神に似ているのか。それとも昔の日本人のものを大事にする、金を大事にする、精神なのか。

 ヨシさんが徳さんに連れていってくれという所はだいたい決まっていた。その一つは、インディアン・カジノである。そこのスロットミシンがお気に入りだった。アメリカはどの州でもインディアンはインディアン所有の土地にカジノを作ることを許されている。徳さんがシアトルに住んでいるころ聞いた話では、一般のアメリカ人は川で鮭を捕るのに、釣り竿で釣ることでしか出来ないが、インディアンは釣りざおで釣っても、網で捕っても、どんな方法で捕っても構わない。これはインディアンから土地を奪い取った白人の罪滅ぼしだろうか。

 81歳のおばあちゃんが、「7よ三つ並べ、7よ三つ並べ」と、スロットミシンにかじりついて必死になっている。よだれをたらさんばかりの格好で、スロットミシンと睨めっこしている。10歳も20歳も若くなった顔にもなる。かたわらで見ている徳さんも気持ちがいい。日本語の映画館も劇場も少ない、自由にどこでも行ける電車も少ないアメリカ。英語の不自由な日本人にとって心の通う友達は、どうしても、日本人に限られる。アメリカに60年以上も住んでいると、懇意にしていた数少ない日本人の友達も一人また一人と死んでいき、寂しさが募る。足腰も弱り、日本人向けの団体バス旅行に行くのも大儀になる。

 ヨシさんには、気心が知れた徳さん夫婦に連れられてスロットミシンに挑戦するのが何よりの楽しみのようであった。スロットミシンは負けてもまた何時か必ず勝てそうや、勝てるという幻みたいな夢を持たせる。勝つことを諦めきれない機械である。他人に気を使わない、夢中になれる、世間のすべての悩みを忘れさせてくれる、ただ夢中に勝つことだけを夢みて一人で遊べるスロットミシンは年寄には一番いい遊びかもしれない。金はもって死ねないんだ、生きているうちに、元気で体の動くうちに思い切り使おう。それは徳さん夫婦の老後を見ているようでもあった。

 ヨシさんの預金名義を変更していたのは誰だったか? 亡くなった夫の遠い親戚の若い夫婦だった。この若夫婦はたまにヨシさんのところへ来て面倒を見ていた。なかなかよさそうな人達なので、徳さんも友達として付き合い、信頼していた。でもヨシさんはそうではなかったようだ。
 
 ある時、ヨシさんはちょっとした病気で2,3日入院した。
退院した後、夫婦から電話があった。
「徳さん、弁護士に頼んでヨシさんの遺書を作ってもらいましょうよ」。
「ヨシさんが死んだら、遺書がないと、全財産が政府に取られますから」。
「ヨシさんの家の名義を私達にするよう、徳さんからヨシさんに頼んでくれませんか」。

 アメリカに身寄りもない81歳にもなるヨシさんの死後の財産のことを遺書にすることは徳さんも賛成だ。遺産が政府に取られるよりは、ヨシさんの世話をした遠縁の若夫婦がもらうのもよさそうだ。ヨシさんもOKした。若夫婦は徳さんのお陰と大喜びしていた。

 ところがその時すでに、12万ドルの預金はすでに若夫婦の名義に変更になっていた。そんなことヨシさんも徳さんも夢にも思わなかった。その時それに気付いていたら、すぐに預金を取り戻し、家の名義変更まですることはあり得なかった。徳さんとヨシさんは完全に若夫婦の作戦に乗せられていた。どうも、ヨシさんが入院していた間に12万ドルの名義変更を勝手にしていたようだ。こうも簡単に銀行預金の名義変更ができたことが徳さんには理解できなかった。若夫婦は銀行までも欺したのだから、だいぶ前から用意周到だったのだろう。“徳さん! 泥棒と詐欺は用意周到で突然やってくることがわからんのか”と、こん棒で頭をガーンと一発殴られたみたいだった。

 遺書の作成を頼む弁護士のことでひと悶着があった。若夫婦はフィリピーノの弁護士を探してきた。ヨシさんの亡き夫がフィリピーノだったから、徳さんは特に問題だとは思わなかった。ところが、「フィリピーノは信用できない」とヨシさんは猛烈に反対し、チャイニーズの弁護士になった。徳さんは戸惑った。あれだけ、生前、なんでも好きなことをさせてくれた優しいフィリピン人の夫だと言っていたヨシさんが、「フィリピーノは信用できない」とは。その時、徳さんの高価な大工道具を借りて返さなかったフィリピーノのお客さん、以前、フィリピンの国が国際XXから金を借りて返さなかったことを思い出した。

 好きなこともせず、やりたいこともせず、女一人で81歳までこつこつ働いて貯めた12万ドルと家は他人に取られ、ヨシさんはひとり悔やんで82歳の人生を終わった。
 
 徳さん夫婦はまともに英語は出来なかったが、26年間大工仕事をして、家も建てた。子供達はアメリカで生まれ、育ち、英語には全く不自由がないのでアメリカで普通に生活出来ないはずがない。“子孫に美田を残さず”西郷隆盛が言ったこの言葉はアメリカで今はやっている。徳さんと嫁はんは、子供に財産を残すことは考えないことにした。足腰の動くうちに、好きな所へ行き、好きなことをしようと、強く心に言い聞かせながら、毎日話し合っている。

 嫁はんが62歳になると、好き勝手な自由な生活を楽しみにしている。家を担保に家の値打ちに見合うお金を銀行から毎月、終身もらおうと思っている。これはアメリカの年寄の暮らし方の一つである。このような金の借り方を “リバースモーゲッジ”と言っている。徳さん夫婦が死んだら、家は銀行のものになる。裸で生まれて裸で死んでいく、いいやないですか。インターネットで見ると、日本の銀行でも“リバースモーゲッジ”をやっているようである。

 ところがさて、こんな歳になって、どんな好きな所へ行くか、どんな好きなことをするかとなると、これが少ないのである。若いうちに、やっておけばよかったなあである。
歳をとることは難儀やなあ。

by フリムン徳さん 2008年

プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を出版されています。

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投稿者: カルフォルニアのばあさんブログ 投稿日時: 2012年9月12日(水) 09:21