こういうことを声高に言うのはどうなのか、という気持ちもないわけではないのですが、不要と思う人はスルーしていただけばいいだけなので、書くことにします。
何が言いたいのかというと、「がんばることができる」というのは、決して本人の気持ちとか気合とかだけの問題ではなく、体調や健康状態などに恵まれた人のみに与えられる、大変ラッキーなチカラだということです。
もちろん私自身、想像力に欠けている部分はたくさんあるはずですし、その部分は誰かに教えてもらわないとわからないのではないかと思います。だからせめて、私がわかる範囲のことだけでも伝えたい、と思います。
世の中には、すごくがんばっている方々がたくさんいらっしゃいます。その中には、人間死ぬ気になれば何だってできる、楽することばかり考えるな、体調を崩すのは自分を律することができていない証拠、這ってでも仕事には出るべき、何であいつはもっとがんばらないんだ!などとつい考えてしまう方々もおいでのようです。
もちろんこれが当てはまるのはとりあえず健康な奴に限る、何か理由があって無理がきかない人にまで押し付けるつもりはない。そんなの当たり前だ。ほとんどの方がそう思っていることでしょう。しかし、それではあなたは何を持って、自分以外の人に対して、もっとがんばるべきかどうか否かを判断されているのでしょうか?自分以外の人がどれだけ健康なのか、実は医療上あるいはその他の問題を抱えていたりしないのか、外から見ているだけでわかるのでしょうか?
結局、自分がどの程度厳しく自分を律するかという問題は、本来他人がとやかく言う筋合いのことではないのではないか、と思います。もちろん組織の中の規律というものは必要です。そして時にそれを超える部分で、個人的にあなた自身がさらにがんばっていろいろされることは素晴らしいことです。でもそれは、だから他の人も同じようにすべき、と要求するようなものではないのでは?ということです。
いや、人にもがんばりを要求したくなる気持ちはもちろん私とてよくわかるのですが、人にはそれぞれ外見からはわからない様々な事情がある(かも知れない)ということを想像すると、そう簡単には言えないなと。同じような理由で、自分ができたのだからお前にもできないはずはない、できないなどと言うのはどこかに甘えがあるからだ、というのも違うのです。
もちろん中には本当にただ甘えているだけの人もいることでしょう。しかし、たとえ外見的にそう見えたとしても、もしかしたらそれにはやむをえない理由があるのかも知れないという想像力も、常に持つべきではないかなと思うのです。外見的にわかりやすい障害などがある場合は、想像力を働かせるまでもありませんが、人には外見からは全くわからない様々な問題も、時にはあったりするのです。そういうことがないとはっきりしている場合にのみ、厳しい指導をされたらいいと思います。
様々な問題って何だ?具体例を示せという人がいるかも知れないので、私が知る範囲で少し例を挙げると、たとえばもやもや病患者です。この病気は外見上何の問題もないので、言われなければ全くわかりません。しかし脳が虚血になりやすく、ちょっと激しく運動したり、ある条件が重なると、TIAと呼ばれる発作が起こり、手や足や全身が脱力したり言葉が出なくなったりという、脳梗塞と類似の症状が起こります。最悪の場合、実際に重い脳梗塞や脳出血に至ります。
もうひとつの例は、肺高血圧という病気です。これも外見からは全くわかりません。何でそんな特別扱いが必要なの?と思われる類の病気だと思いますが、これは普通の高血圧とは全く別もので、ただ生きるだけの代謝活動にさえも支障をきたし、肺の動脈が細くなって、酸素/二酸化炭素の交換が十分に行われないため、とにかくこれでもかという感じで疲れやすく、物理的にがんばりようがないのです。そして放置すればいずれ右心室不全となって命にかかわるほどで、しかもいまだに完治する治療法がない厳しい病気です。
ふたつだけ例を挙げましたが、これらはどちらも数万人にひとりといわれるような希少疾患なので、そういう患者に会ったことがある人さえ滅多にいないという、普通は聞いたこともないような病気の患者ということになります。しかしいわゆる難病といわれるものは他にもた~くさんあり、全部合わせれば世の中にはそういう患者さんもそれなりにたくさんの数がいて、それでも彼ら/彼女らなりにがんばって社会に出ていたりもするのです。
そしてそういった患者さんは、病気を理由に甘えたくない、あるいは病気のせいで不利益をこうむりたくない(残念ながらそういうケースがままあるようなので)といった様々な理由から、病気を公表していない場合も多くあります。
少なくとも私は、上記の二つの難病(実はもっとあるのですがw)を併せ持つうちの息子がどれだけ学校を休もうとも、さぼっているとは思わないし、もっとがんばれなんて言う気もありません。幸いなことに、IEPというspecial accommodationにより、フレキシブルな時間割にしてもらえていることにも大変助けられていますし、学校のスタッフも事情をよくわかってくれています(このあたりがアメリカの素晴らしいところ、というかすばらしい担当者に恵まれたので)。さらに言えば、大して時間を費やせていないにも関わらず、幸いなぜか勉強にはそれほど困ってないみたいなことはありますが、要するに天はそう簡単に二物を与えないということでしょうかw。
世界的にも、そして日本でも昨今、今までになかったような天災とでも呼ぶべき自然災害が多く発生していますが、そういった緊急の状況下でも、何だかわからないけど普通ではなく困っていそうな人がいたら、その人はもしかしたら思わぬ難病持ちで、体力が尽きたり大事な薬がなくて困っているなどの苦境に陥っている可能性もあります。
他の人に対してあらゆる可能性を考える想像力、常に働かせたいものだと思います。
投稿者: A-POT シリコンバレーのバ... 投稿日時: 2012年5月11日(金) 20:04- 参照(162)
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