結局のところ残る味って生活に密着してたって事が大事なような気がします 旨いと聞かされ遠方まで出かけて食べる一杯は確かに美味しいこともあり、、そういうお店を次から次に訪れてみた頃もあったけど真に残らない
ジャズが流れるとか、女性一人でも入りやすいとか好きだった豚げん骨の店とか、色々あるんだけど、2年で閉店とかいうのは困る、何はどーあれいつも傍らにいてくれてたというのはカケガイ パッシっと割箸、シュウマイにビール年季のこもった一連の動作、これを何十年も支える店
業界に紆余曲折あれど、20年前と変わらない、最近の流行だからと色々変えてもらっては困る
いつ思い出して帰ってきてもそれがそのままでないと困る化調を使わなくなりましたって それも困る 使ってたんだったら使い続けて欲しい
回りがどんなにアレコレ囃子たてようともブレないというのはじつは大変なことじゃないかと 凍える冬に食べた、夏の朝に食べた、最後の日に食べた、
旨いとかまずいとか定規があるような事言われても
じゃーこの記憶に残って離れないない、定規で測ると達しないかもしれないものは一体何んなんだろうと長い年月を経てちょっと考えたりします
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