私は小学校5年生の3月に、親の転勤で新潟から北海道の帯広に引っ越しました。転入した帯広市立柏(かしわ)小学校で、いろいろ新鮮な体験をしました。忘れないうちにちょっと書いておこうかなと。5年生の3月という、ちょっと微妙な時期ではありましたが(転校はいつであっても微妙な時期かも知れませんが)、このクラスはとても暖かく私を迎え入れてくれました。私は、大変賢く、かつ性格も優しい、しかもかなり美人の(少なくとも当時の私には天使のように見えた ^^;)、いってみれば理想の学級委員長タイプの女の子のとなりの席を与えられました。この子はおそらく先生から頼まれていたのでしょう、最初からしばらくの間、この学校やクラスやその他もろもろに関する様々な情報を丁寧に教えてくれました。今思い出しても、何であんなに親切にしてくれたのだろうと思うくらい。今はもっといろいろなことが全国共通になってきているのかも知れませんが、昭和50年当時、新潟の小学校と帯広の小学校とは、まったくの別世界でした。というのはちょっとオーバーかも知れませんが、とにかく11歳の私にとって、新鮮なことがたくさんありました。まずは言葉。新潟でも特に男子には、◯☓だねっかー、☓◯だわいや-といった、ちょっとラフな感じの言い回しがあったりしましたが、北海道弁というのかどうか、語尾のだべ、だべさ、を始めとして、しばれる(寒い)、なげる(捨てる)、内地(本州)など、最初はまず言葉を覚えなければならなかったのがひとつ。でも北海道の言葉は全体になんとなくあたたかさを感じるものでした。それから給食が学校の給食室で作られるのではなく、市の給食センターから運ばれてくること。だから寒い時はスープとかかなり冷めてること。具だくさんでおいしいシチューとかカレーとかはめったになく、ほとんど具のない透き通ったコンソメスープみたいなものが多かったこと。食パンはほとんど出ず、たいがいコッペパンかジャムパンかクリームパンだったこと。給食の牛乳がビンではなくテトラパックだったこと。給食は残してもOKだったこと。残したパンは持って帰ったり、放課後に食べたりするのもOKだったこと。病気などで休んだ人にも、パンとぬりもの(バターとかジャムとか)を誰かが家まで届けたりすること。現地では当たり前のことだったのですが、内地から来た私にはいちいち驚きでした。子供たち同士のニックネームも独特で、今思えばかわいいものでした。渋谷くんのことをしぶっことか、成田くんのことをなりっことか、その他も大半は苗字ではなく、ファーストネームの呼び捨てで呼び合っていました。そして小学生たちの間でポピュラーだった遊びの代表的なものが、「かずぶえ」というもの。最低8人くらい、上限は特にないのですが、クラスの男子がほぼそろうと20人近くなることもあったかも知れません。放課後に学校の体育館などでやりました。新潟の小学校では、ある頃からクラブ活動なるものが導入され、放課後の体育館はあまり自由に使えなかったような記憶がありますが、帯広の小学校には、当時まだ放課後のクラブ活動なるものはなく、体育館は遊びに使い放題でした。クラスは各学年いくつもあるのに、何でうちのクラスだけが使えていたのか、今となっては思い出せないのですが、とにかく特に寒い間、放課後よく体育館で「かずぶえ」をやっていました。どういうゲームかというと、まず全体を2つのチームに分けます。だいたい強い人(敏捷で足も速い)や弱い人(強い人の逆)というのは決まっているので、両チームなるべく均等になるように分かれます。各チームの中で、それぞれのメンバーに点数を割り振ります。5人いたら普通は強い人から5点,4点,3点,2点,1点といった感じ。もっといるときは10点から始めます。誰が何点かは相手チームには秘密です。時には相手の裏をかくために、弱そうな人にあえて高い点を割り振ることも。これがすんだらゲーム開始。敵味方適当に入り乱れて、これはと思う敵にタッチし、「何点?」と聞きます。お互いに自分の点数を正直に言います。その結果、点数が高かった方が相手の点数を上乗せします。5点の人が相手チームの4点の人にタッチしたら、その時点で9点になります。4点の方は4点のまま。勢い込んでタッチしても、相手の点数の方が高かったら、取られるだけで終わってしまいます。面白いのは、味方同士で手をつなぐと点数もその和になること。そして何人でもつなげることです。だから5人つなぎ対6人つなぎみたいな勝負にもなったりします。そしてここで問題が生じ始めます。それぞれの点数がだんだん増えてくると、たくさん手をつないだ時の点数計算が追いつかなくなってくるのです(笑)。でも子供たちは純真で、うそをつく気などさらさらなく、真剣に点数を計算しようとします。転校してきたばかりであまり要領を得ず、しかも大して足が速いわけでもなかった私ですが、それくらいの計算は簡単だったので、そういう状態になってくると計算係として重宝してもらえたものでした(笑)。それはまあポーカーでいえばオールイン状態ですから、そんなふうになってきた時点で、勝敗はほぼ決し、しかもそれまでみんなさんざん走りまわって疲れてきていますから、なんとなく終了の雰囲気になって終わります。足が遅い子も、動きが敏捷でない子も、弱いなりに楽しみ、決して嫌味を言われるでもなく、みんな楽しく遊んでいました。なんていうか北海道の大地の、フトコロの広さみたいなものがあったような気がします。帯広、冬ははんぱなく寒いけど(^^;)いつかまた訪れてみたいなあと思っています。

投稿者: A-POT シリコンバレーのバ... 投稿日時: 2010年8月30日(月) 23:10